(「インディアンコミュニティー&スカーレットアイビス見学ツアー 1」の続き。)
さて、チャグアナスを後にした初老3人組御一行が次に向かったのは車で約20分ほど南西に行ったカラピチャイマという町にあるインディアン カリビアン博物館(The Indian Caribbean Museum)。
(地図のBの場所。)
(ピンボケ写真で申し訳ない・・・)
トリニダード・トバゴ(以降T.T)におけるインド系住民の歴史は、1833年に宗主国のイギリスで奴隷制度廃止法が成立したことによって始まった。
それまで砂糖きびプランテーションで働かされていたアフリカ系奴隷の多くが農場を離れたため、労働力不足に直面したイギリス人農場主たちが、同じくイギリスの植民地だったインドに労働力を求めたのだ。
主にコルコタのあるインド北東部の農民や労働者階級の人々を契約労働者として募集し、1838年から1917年にかけて14万人以上の人々(主に20代・30代の独身者)が海を渡ってT.Tに来た。
彼らの労働条件は、5年間決められた雇用主の元で契約労働をすれば、年季があけて自由労働者として自ら雇用主や職業を選んで契約することができるようになるというもの。
ただし、契約労働に応募してきた人たちのほとんどは読み書きができないため、農場主によってはいろいろ搾取されていたらしい。
年季奉公中は、農場内の長屋に住み込み、成人男性は1日25セント、成人女性は1日16セント(最低賃金の相場)で週45時間(収穫期には週6日・1日9時間以上働かされたらしい)の労働に当たった。
5年の契約期間の後はインドに帰ることも可能だが、帰りの船賃は自腹で払わなければならない。
(年季があけた後さらに5年間T.Tで働けば、インドへ帰る船賃は全額支給される。)
さらに、年季があけて自由労働者になれば、住居を構えるための土地が与えられた。
そこで、移民の3/4にあたる人々はインドに戻らず、T.Tを住処とすることに決めた。
だから、T.Tの農業地帯であった中南部は、今でもインド系住民比率が高い。
(中には100%インド系の町もあるそうだ。)
(以上、情報は「http://www.icmtt.org」及び「http://www.caribbean-atlas.com/en/themes/waves-of-colonization-and-control-in-the-caribbean/waves-of-colonization/the-experience-of-indian-indenture-in-trinidad-arrival-and-settlement.html」より。)
博物館の建物の外(駐車場スペース)には、1838年にインドから南アフリカの喜望峰を回って約3ヶ月かけてT.Tにやってきた最初の200人余りの移民が乗ってきた船「ファス・アル・ラザック号(Fath-Al-Razak)」のレプリカや、
5年の年季奉公を終えて土地を得たインド人たちが作った家のレプリカ、
(壁と床は泥と牛の糞を固めて作られている。タンザニアのマサイ族の家を思い出したよ。)
さとうきび農場で使われていた農耕器具などが飾られている。
(さとうきびを潰して汁をとるための道具(写真奥のハンドルが付いた物体)と絞った汁を煮詰めて砂糖を生成するための大釜(写真手前の水が溜まっているもの))
博物館内部は写真撮影不可なので写真はないが、建物内にはインド人移民の生活を伝える生活用品・楽器・民族衣装などや、インド人移民の歴史を伝える写真や書籍・書類などが飾られている。
自分の祖先のことを知りたければ、ここで家族の系譜を遡って調べることができるらしい。
別の建物には、有名なインド系画家の絵(プリント)が展示されたギャラリーもあった。
オリジナルの作品は、ポートオブスペインにある画廊で購入できるそうだ。(ものすごく高いらしいが・・・)
てな具合に、T.Tのインド系コミュニティーの歴史のお勉強タイムを終え、初老三人組は次なる目的地、ヒンズー寺院巡りへと向かうのであった。
(「インディアンコミュニティー&スカーレットアイビス見学ツアー 3」に続く。)
Q:最後に熱出たのいつ?
そういえば、T.Tに来てから風邪ひいていないなぁ。
(ゴルフして熱中症で熱が出たことはある。)
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