あの日から1年半が経とうとしてる。
あれから経過する日を数えるたびに…
その日数より前は居たのに…
生きていたのに…
と思う日々。
これからもずっとそう思うんだろうね。
いつも拝見させていただいてるブロガーさんの記事で、共感したこと
大切な人の死は、のり越えたりのり越えられる試練ではなくて。
私は夫の死を、諦めて受け入れるしかないだけなんだなと改めて感じた。
(そもそも試練っていうと、なんだか遺された人の能力試されてるみたいやしなっ
)
泣いても喚いても、生き返りもあの頃に戻れもしない現実。。。
事後は特に、いや、今も思ってはしまうけど…
ずっと時計を戻してって。。。
そう思い続けた結果、やっぱり無理なんだって刻々と理解して…渋々諦めの境地
時薬ってそんな感じかな
諦めの境地…悟りの域からそう思うようになったのか、年代的にも自分の人生に対してこれからあと何年
とか考える機会が増えてる。
人生80年と考えたってとっくに折り返してるところ、虚弱な私は70歳の壁は越えられないだろう
と思ってて。
と思ってて。尚のこと30半ばぐらいからとっくにもう人生折り返してる感覚で生きてたんだけど
確実に死別のタイミングから私の人生は余生になってしまったわけで
毎日泣いてばかりで人生終わるのを待つだけ…
と思うと、今を過ごすのも明日を迎えることも辛くて辛くて堪らない
だけど、そんな日々を重ねてきたことで、辛さを紛らわす為に必要なことに少しずつ目を向けられるようになってきた。
その場凌ぎでも目を逸らさないと苦し過ぎるから。
あれほど無になるような経験をしたからこそ…
いまだに泣かない日はないからこそ…
ちょっとした何かに、自分が一瞬でもキュンとなれたりするコトの素敵さに気付けるようになってきた
あの時までは、人間楽しいことは楽しめて当然
って思ってたよ。
それが、大切な人を失うと、楽しいことも美味しいものも無に感じたり100%は楽しめなくなることを知った。。。
その無が大きかったからこそ、求めるもの自体が以前よりも明らかに減ったわけで。
でも求める何かのハードルは格段に下がったんだから、だったら素敵だと感じるものは小さいながらも目を向けさえすれば見つけられるはず
植物の成長に感動したり、誰かと食べるものがひとりよりも美味しく感じられたり
素敵なことを見つけると、それを一番共にしたかった夫と共感できなくなった虚しい現実とも隣り合わせなんだけどね
でも、一瞬でも楽しい、美味しい、素敵
ってキュンとなれると、その瞬間は寂しさが紛れるのも現実。
本当は夫と共感したくならないことにそんな素敵を見つけられたら楽しいだけで済むよねー
(ブロガーさんみたいにアイドルの推し活とかにハマれるのが理想かも
)
うーん…
あまりになんでも一緒に楽しめる気が合い過ぎた夫婦だったから
夫へ共感求めない素敵を見つけるのはなかなかの難題
まだまっすぐじゃないけど、芽は上に、根は下へ向かって日に日にすくすくと伸びて、少しずつ真ん中へ寄り始めてきた![]()
こんな成長も夫にみてみてー
って言いたくて仕方ないんだけどさ![]()
1年半後にこんなことを語れたり、植物の成長を喜んだりできるようになってるとはね…
あの頃は全く想像出来なかった絶望期だったけど
時の流れにのってくうちにそれなりにあがれるところを見つけていくもんかもな

