前回の日記からずいぶん時間が空いてしまいましたが、授業と研究で多忙な日々を送っていました。
年内最後の講義を前にインフルエンザになり、現在は家族にパンデミックという大変な状況ですが(苦)、一通り仕事が終わってからだったことが不幸中の幸いです。
まず今月上旬に東北大学の日仏文化交流史研究会で研究発表を行いました。
テーマは堀辰雄の夢想の主題とプルースト受容の関連性について。
堀辰雄作品全般に見て取れる夢想の主題が、プルースト読書前後で性質を変えていることに着目し、レアリスムを仮想敵とするプルーストの文学を受容することで堀作品の夢想の位置づけが変化したという考察を提示しました。
堀自身、流行していた私小説やプロレタリア文学といったレアリスムに染まることなく、自らの主観性を手がかりとした小説作品を作り続けた作家だったのですが、その問題意識がプルーストの取り組みと呼応したように思えるのです。
ただし、堀の参照した文学作品は、プルースト以外にもモーリヤック、ラディゲ、コクトー、リルケ、ジッドと非常に多彩であり、さらに日本文学の影響も根強い。
今回のテーマが「夢想」というジェネラル(バナル?)なものであっただけに、他のテクストとの相互関係も十分に調べ上げねばならないという課題が残りました。
今回の発表は、小林秀雄を研究している友人と一緒に行ったのですが、堀辰雄と小林は同世代であり、昭和10年代には実際の交流もあったため、考察が重なり合う部分も多かったです。
小林の『私小説論』は、意識的に反私小説という態度をとり続けた堀の文学を考える上でも必読の文献であると感じました。
発表のあとは所属研究室の紀要への投稿論文の準備です。
テーマはプルーストとボードレールの比較分析。内容的には昨年の同時期に京都大学の関西プルースト研究会で発表した考察が下敷きになっています。
昨年の研究会発表は、自分の中ではプルーストとボードレールの比較研究の集大成として準備したつもりでしたが、今読み返すと考察が粗くて失笑です(笑)
問題提起の妥当性を再検討するという基礎的作業から始まり、考察対象のテクストをしぼり込んで、特にボードレールの『1846年のサロン』を中心としてプルーストの美学との関連性を語彙レベルで探っていきました。
プルーストは主に『悪の華』や『パリの憂愁』への収録作品に言及しており、サロン評、あるいは後年の『現代生活の画家』については具体的な発言がないのですが、草稿の記述にはかなり似通った表現を見つけることができ、『失われた時を求めて』の創作においてボードレールの美術批評が何らかの役割を果たしていることは明らかです。
その具体的な創作プロセスの解明には、作品生成過程を丹念にたどることが必要とされるのですが、今回の分析は関係テクストの特定にとどめております。
ともあれ、これまでさほど指摘されることのなかった『1846年のサロン』との関連性を指摘できたのは、自分にとって一つの前進でした。
今年はフランス語教育にウェイトを置かざるを得ない状況でしたが、一年の後半に駆け込みのように研究を行うことができたのは、いくぶん救いではあります。
少ない時間の中で、フランス文学研究と日仏比較文学研究という二分野を形にしていくことは非常に困難なのですが、これからも機会を見つけて少しずつ発表していこうと思います。
