農家に、計画的生活設計は、難しい。不作の年もある。天災に悔しい思いをすることもある。利益の出る農作物も不変ではない。

つまり、先のことを見通すことが難しい

のである。

 

  「馬鹿でも結構、丈夫が一番」といった、

教育・学歴を重視しない考え方は、かつての田舎には根強くあった。

 

   そんな経済的理由や土地に蔓延(はびこ)る考えから、農業高校で終わる長男は少なく

なかった。 

 

   それに対して、家を継げない ≒ 継がない、次男 (・三男)には、田んぼや、畑を売って

でも、大学に行かせようとする親もいた。自活には、教育・学歴が必要と考えたからだ。 

 

   単なる、生まれ出た順に寄り、かなり、

その後の一生が決まることになる。 

 

 以上は、私の周りを見ての、一般論である。家の事情は、それぞれに異なる。上述したことが当てはまらない例も、随分と、

多いと思う。 

 

   ところで、6月23日(日曜日)の某新聞の投稿欄に、「田植えやめても兄と」という題で書かれた、記事が載っていた。兄は78歳。記事を書いた弟さんは74歳。名前の右上に、小(ちい)さめの文字で、横浜市とある。

 

   「田んぼが人手に渡るかもしれないが、その日まで帰省して兄と一緒に農作業を続けたいと思っている」と記事は結ばれている。

 

 なんと仲の良い兄弟だろう。そして、何と兄思いの弟だろう。成長し、独立し、生活が別々になるまで、泥んこまみれになり

ながら、懸命に一緒に働いてきたことが、

今の二人の良好な関係、強い絆(きずな)を、作り上げているのだ。

 

   私にも弟はいるが、こんな事は、とても、言ってくれないだろう。兄たる私の、不徳の致すところではあるが、

 

 「君君たらずとも、臣たらざる

べからず」に倣(なら)って、本音を言えば、

「兄兄たらずとも、弟弟たらざるべからず」だ。

 

   投稿記事の中で、執筆者の O. M. さんは、10時過ぎの間食を「小昼(こびる)」と、書いていたが、私のいる土地では

「小昼飯(こじゅうはん)」と言っていた。

 

 その時に食べた物にしても、私の場合、

 “ チョコレートパン ” といったものは食べられなかった。

 

 蒸した、“ さつま芋 ”、が多かったように記憶している。