結構前に近所(メトロの駅で二つ先はこの表現でいいだろう) で、殺人逃亡事件が起きた。
その当時はその事件が起きた場所があまりにも身近過ぎて事件の存在を上手く認識出来ていなかったし、今も不思議とボヤけている。
この奇妙な感覚は近所で人殺しなんてそうそう起こりはしないという正常性バイアスによるものだと思うしそう理解しているけども、この事件で理解が出来無かったのがその殺人犯に対して熱狂的な女性ファンみたいな連中が生えてきた事である。
コイツは女性を不同意性交(自主規制的な表現)の上で殺害してる様なヤツだぞと思うのだが、考えてみたらオウム真理教の時もそういうのいたし、別の機会に知ったアメリカのシリアルキラー達にもそういう連中が湧いたらしい。
この事実をどう理解すべきか悩むが、つまるところはこうした人の命を何とも思わない様な存在のある種の超常性とそいつらが人を殺めた事実へのあこがれに自分達の潜在的な攻撃性を重ねるのだろう。
犯人が裁判中で拘束されていれば自分に危害が向かう事はない、ある意味で動物園の猛獣を見てわーきゃ言ってるのと同じ構図だ。
ただこの保険会社CEO殺害事件は、こうした構図にアメリカの保険会社のクズっぷりが加算される。
マンジョーニ被告には同情の余地はあまり無いけども、保険会社のクズっぷりを考えたらコイツがやらなくても誰かがやったとも思わなくもない。
司法が民意におもねるのは、そういうのの最先端である韓国以外では許されるものではない。
ただ昨今の、洋の東西問わないお気持ち主義の流れに乗ってしまうのかとも思わなくもないのである。

