「いじめカッコ悪い」という標語は、僕が中高生の時分にもよく聞いたし、ファウスト先生も仰っている様に、世の中の真理である。
絶対にその後、バックラッシュがあるに決まっている。
僕は常にスクールカーストの最下層にいた陰キャだったので、そういうものに関わりたくないし関わりもしなかった。
でも現代的なイジメというのは、鋼の錬金術師のアメストリス軍みたいに、「学校(での対人関係)がヤバい」じゃなくて、「学校そのものがヤバい」になりがちである。
SNSが無かった僕らの世代だってそうだったのだから、SNSがある今ならばどんな構造になっているのか皆目見当が付かないのである。
それならばここには大人が何某かの介入、イジメがどういう事なのかとかそういうあやふやなものじゃ無くて、自分達のやっている事がどういう事かを明確に指摘しないと理解しないだろう(羽海野チカ先生の3月のライオンでもその辺を苦慮されていた)。
だからイジメは無くならないし、イジメをする側もそれにつけ込むのである。
そうした最悪な構造の一例が、「旭川女子中学生いじめ凍死事件」だろう。
更にはこの事件を、旭川市教育委員会は報告書にてイジメは無かった事としたのである。
被害者のケアも蔑ろにし、悪ふざけという軽い言葉で済ませたのは、様々な勘繰りをされても致し方ないだろう。
この文章は既に削除された様子だけども、ちょっとネットに上がるという事は多分探したら見つかるんだろう。
少なくとも僕はやる気はないが。
この事件をどう取ったらいいのかは、結構難しい。
ご遺族の心境を考えたら実に痛ましいけども、事件の全貌がもみ消されるのは我慢ならない人がいた事実も考えないといけないのである。
本来はこの話題を扱うつもりじゃ無かったので、オチは無いが。