「ハリー・ポッターシリーズ」は訳文が今七つ肌に合わなかったので、多分最初の二冊ぐらいしか読んでいない。
更に言うと映画も観ていないので、この点で僕は人生を損しまくっているのだが、他の損も多いのでまあ大した問題ではないのである。
ただイギリス演劇界の超大物達が一同に会している様は壮観だし、TVでちらっと観る分には吹替もスゴそうである。
更に言うならば 「ファンタスティックビースト」シリーズは、キービジュアル的にも僕の映画アンテナが絶対面白いと報せてくれているのだが、そーいえば観ないまま来てしまった。
ハリー・ポッターシリーズというか、J・K・ローリングの功績は魔法と錬金術の再定義というべきなんだろうか。
いくらか観た分の作品で出て来た錬金術や魔術由来のキーガジェットの使い方の旨さは素晴らしかったし、何よりそこから色々な興味が湧く様な感じだった。
劇中のモチーフが何に由来しているか調べてみるのは物凄く勉強になるし、そういうリアルと劇中のモチーフの違いを考えたり、他の作品との差異を見たりする原体験が僕より下の世代はきっと体験してるんじゃないかと思う。
それって凄く羨ましいなと思うけども、和訳の原作勢はそこに中々行き着け無かったんだろうとも思うのはマジで余計なお世話だろう。
映画は吹替ならそんなに変に引っかかる所無かったけども。
閑話休題、僕にとってJ・K・ローリングは作品こそちょっと遠い存在ではある。
ただDVサバイバーであり、その経験からか漢の中の漢みたいな気骨のある人格者である事は疑い様のない人である。
弱者や虐げられた人の為に、自分の発言力をフルに活用して戦う様は憧れてを懐かずにはいられない。
そんなJ・K・ローリングは、恐らくヴォルデモートよりもヤバい、ごくごく普遍的な悪と戦い続けている。
その辺はまた明日。