いま気になってること

困ったぞ、どうも坂上田村麻呂は黒人らしい。 

我が国史上初の征夷大将軍が黒人となれば、日本では平安時代から黒人が居て、かつ朝廷から要職を与えられるぐらいに出自も能力も評価されていたという事に他ならない。

それであれば坂上家への縁談が絶えなかっただろうし、平安時代の武家は黒人やその血族ばかりになるだろう。

でもまあ、古くからの京都府民に副島淳さんみたいな人はあんまりいない気がする。 

そもそも論として、征夷大将軍という実に剣呑な字面の、その意味を知らないからそんなアホな与太話が言えるのである。


上記のウィキペディアにある様に、坂上田村麻呂黒人説というのは、何と言うか実に歴史の長いアホな与太話である。

1911年にカナダの人類学者・アレクサンダー・フランシス・チェンバレンが自身の著作で語ったエピソードが初出とされている。

その出自不明の与太話を、公民権運動家で黒人地位向上協会の創設者のW・E・B・デュボイスが、恐らくは何の悪意も無く、拡めた事から北米の黒人コミュニティでは定説化されている様だ。


僕はせいぜい、先日お話した評論家氏がGGSTで名残雪使って連勝してハイになって書いたアホコラムだと思っていたのだが、 結構根が深いネタなのかもしれない。


とはいえ、こうした構造の与太話については日本でも結構あったりする事も指摘しなきゃいけない。

例えば、源義経がモンゴルに逃れてチンギス・ハーンとして大陸を征していたりとか、明智光秀が山崎の戦いを生き延びて天海僧正として江戸幕府の基礎を築いたとかね。


困った事にこうした与太話は、古今東西で存在している訳だ。

ある意味で、早くに非業の死を遂げた人物を悼む心理的なプロセスとも言える。

でもあの英雄、実は黒人だとか日本人だとか言う与太話は笑える様なフェイズで言うならばまだ良い。

先に挙げた坂上田村麻呂黒人説や源義経チンギス・ハーン説は、少なくともその英雄が実はその社会にとっての客人で、彼らが興した歴史的な影響力はその客人を輩出した社会のものという、実に解りやすい歴史修正主義的な言説を正当化する恐れがある。

というかBLMな人達は恐らくそういう世界観で生きていて、そこに的確なツッコミを入れたとて多様性を盾にして、その世界観で歴史を稚拙に塗り替えようとしているんだろうとさえ、僕は危惧しているのである。


まあ一つ言えるのは、学ぶ事とそこで起きる間違いを受け止めて新たに学びを進める事は、何より大事なんだなと解った様にまとめてみるのである。

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