先日、上野・東京国立博物館の特別展に足を運んだ。「本阿弥光悦の大宇宙」展の会場は、閉幕まで(コレが上がる頃には終わってる)あと数日というのもあったのか、平日だけども賑わっていたのである。
本阿弥光悦という人物を、日本美術を学んだ訳じゃない僕が言い表すのは難しいけども、著名な書家であり、デザイナー・パタンナーであり、プロデューサーでもあったのかと思う。
そんな彼の手掛けた、または関与した数々の作品が展示されていた。
公式サイトのトップ絵の蒔絵硯箱は意匠もその独特なデザインも素晴らしかったし、陶芸品も実利重視に粋な感じの形状に釉薬で遊んで見た感があって面白かった。
ただ本阿弥家の家業は刀剣のメンテナンスや鑑定であり、今回数量こそ少なかったけども所有した刀剣が僕的には一番印象が深かった。
変な話であるが、刀剣や鎧、更には銃という武器類には独特の機能美というものがある。
先に挙げた本阿弥家が鑑定・所有している刀剣には、創った側と創らせた側の権威を象徴する美術品としての意味合いも強いし、この辺は洋の東西問わずそうだろうと思う。
武器というものは本来存在しない方がいいものではあるけども、そうした付加価値を付ける事でそんなやましさから目を背けたのかもしれない。
では今日的には、銃や刀剣の意味合いってどうなんだろう。
少なくともアメリカでは、保守的なエリアでは持っておくべきモテアイテムとしてマッチョなオッサン達に大人気である。
持ち歩く事で自分の威厳を示す道具であるという訳である。
この辺の武器は自分を強く演出する為のモテアイテムという感覚は、恐らくアメリカ特有なものではなさそうである。
ただまあ英語圏特有のものなのか、それともプロテスタントの文化圏特有のものなのか解らない。
こういう表現をするのは、アメリカは銃社会であると多いニュースになっているが、一方でイギリスも刃物社会になりつつあり、ナイフによる障害事件が日常茶飯事になっているらしい。
このコラムによると、昨年2023年のロンドンでの刃物関係の事件が13,500件以上起きており、それに絡んだ障害事件によってナイフによる刺傷に対する治療技術がロンドンの各病院で向上しているという、何とも嫌な怪我の功名も発生している様だ。
この辺の傷害事件で用いられるナイフ、カッターとか果物ナイフみたいな普段使いの刃物だったまだマシだけども、刺突用の殺傷力が高いものが多くなっているらしい。