僕は自分の考え方としてはコンサバティブよりもリベラルに近いと思っているし、本来的には国連がSDGsガイドラインで謳っている事を賛成したいとは思う。 

ただご存知の通りに日本国内でリベラルを標榜する自称文化人さんや政治家先生とやらは、弱パンチと投げしかしないキャミィやフレーム的に間が空いたら一回転回すザンギエフ並みに生きてて恥ずかしくないのかと思う様な御仁ばっかりである。


そんな偉大過ぎてフルリソースコンボをブチ込んでアディオスさせて差し上げたい人達と同じ様な存在と思われてしまうのは、極めて恐れ多くて全力で御遠慮させて頂き仕りたいものである。


例えそんな風に思っていても、僕は未だに世界は変わり続けるもので、その変化は人の心を縛り続けるものではなくて、その人らしく生きる為のものだと思っている。

そして人間というものは、だいたいしょうもなく愚かな存在でも、大きな分断やカタストロフィを前にしてわざわざ最期の銃爪を引かずに立ち止まれるものだとも思っている。


閑話休題、そんな感じのエピソードとして挙げたいのはイスラエルがガザ地区でのジェノサイドで、国際司法裁判所に告訴された事だろう。 

この告訴、自国民を楽しく弾圧したり、国父が樹立させた政党の汚職はキレイな汚職とマジで言ってそうなプーチン大統領大好きの南アフリカが起こしたものであるというのは恐らく笑うべきところであり、更にイスラエルの現政権の首脳が予想通りのアホなキレ方をしているのも、またそうであろう。


ただそんな世紀末的なお笑い国家からも後ろ指差されて笑われている事を、イスラエルの現政権にわからせてやれない大国の不甲斐なさとユダヤ系ロビィの変な圧力は認識しなければいけない。


でも僕は世紀末な南アフリカの事なんか関係無しに、イスラエルとハマスの愚行や蛮行には中指を立ててやるし、そのアホな二勢力と更にアホな外野によって深く傷付けられた人達には、出来る範囲ではあるけども、寄り添えたらと思う。

本来のリベラルというのは、修正すべき権力を正す為にまた別の権力になるものではなく、現実的に落としどころを探り、対話の余地を見付けていくものなんじゃないかとあんまりまとまってないマトメをして今日はオシマイ。