吉田秋生先生の名作「BANANA FISH」には、作品を通した敵役として、ディノ・ゴルツィネというニューヨークを拠点としたコルシカマフィアの頭目がいる。 

このゴルツィネ、主人公のアッシュを執拗に執着し支配下に置く為に暗躍するのであるが、当然ながら心身共にという注釈を入れなきゃいけない。
表向きはイタリア系の事業家で経済界にも政界にも強い発言力を持つ人物であるのだが、その事業の一つとして魚料理のケータリングを営んでいる。

実際はケータリングを隠れ蓑にした財政界のエリート向けの男娼派遣サービスであり、この顧客情報を元にして様々なロビィ活動を通したり、ユスったりしている、声だけはカッコいいクソホモハゲである(差別的表現かもしれないが、褒めて落としているし事実だからヘーキ)。
こうしたセレブリティの秘密を握り、様々な事業を手掛けて巨万の富を築いたゴルツィネは、主人公・アッシュに執着したが故に、自ら業火に飛び込む事になる。
ある意味望んだその結末は半ば勝ち逃げに近いのだが、とにかく悪役として徹底していて、ムカつくキャラだけどもその最期には納得された方も多いのではないか。

ただこのゴルツィネの勝ち逃げはフィクションであり、その執着が不愉快であるけども納得する様に描いたから許されるのだ。
いや、許すとはまた別なのかもしれない。

先週に行われたジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川こと喜多川拡(ホントは旧字体で難しいヤツだけど探すの面倒くさいのでコレ)による性的搾取・加害事件への記者会見に納得した人は、特定の層しかいなかったのでは無いだろうか。


喜多川拡について、僕は和製ディノ・ゴルツィネだと思っている。

そして現実はフィクションよりも、奇妙であるとしか言えない。


枕の話が長いので今日はここまでだが、うっかりこのしょーもないブログに足を運んでしまった方には、是非とも「BANANA FISH」とその後日談を含む「YASHA」を読んで頂けたらと思う。