北米の興行収入では、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」が無双している。
英語版のマリオの声を当てているのがクリス・プラットである。
このキャスティングに対して意識高い系というかポリコレ勢は、彼がイタリア系じゃないのにマリオ役にキャスティングされた事に正しくないとか、「Not Woke(目覚めていない)」とか好き放題に言っている。
ああそれならば宮野真守が当てる日本語吹き替えは正しくないという事である。
まあこのアホさ加減についてはきっと指摘されても認識する事は無いだろうが、人種的な正しさを最優先させる事は果たして正しいのかと毎度思うのである。
いやもちろん多分に反語的表現を含んだ言い回しであるが、その事を読み解けない人達はきっと闘争者としてさぞかし幸せになれるだろうと思う。
閑話休題、僕はMCUに足が遠のいている勢である。
EGでキャップと社長、ブラック・ウイドウでナターシャ、また別の意味でティ・チャラ陛下が卒業し、シェン・チーやエタナールズ、ラブ・アンド・サンダーもまあいいかで観なかった。
多分面白いんだろうけども、僕的にはあんまり気乗りがしなかったのである。
ただ大体の人はそうだと同意頂けると思うけども、「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」シリーズと「キャプテン・アメリカ」シリーズはMCUにとって特別な作品で、多分この2シリーズが無ければここまで作品群が広がらなかっただろうと僕は思っている。
例えMCU遠のき勢だとしても、ガーディアンズの勇姿を観に行かない訳にはいかないのである。
とはいえども、GW中は激込みだろうから終わってから行ったんだけども。
Vol.3の事は何を書いてもネタバレになりそうなので、「GoTG」というシリーズについて個人的に思っている事に言及させて頂く。
このシリーズのベースにあるのは、はみ出し者に対するある意味で優しくも厳しい視点だろう。
ガーディアンズはみんなはみ出し者で、本来そうありたいというところから外れてしまってシガラミやら過去やらに囚われている連中だ。
こうありたいという自己概念と、他者が求めるアイデンティティがズレているのを認識していても、不可抗力でどーにもならないまま生きてきた。
そしてなし崩しで宇宙を何となく救って来たのである。
そしてそうした事件にぶつかる度に、アホみたいな事でケンカして、アホな事をして、チームというか、家族になって自分の本当にやりたい事や考えている事を話せる様になってきたのである。
やってきた事は変えられないけども、自分がやるべきと思う事を決めてそこに進んで行く事は自由だというジェームズ・ガン監督のメッセージが一貫して存在している様に思う。
今回はまさにそのメッセージの最たる展開で、あるがままでありたい、どうありたいという各々の意思を踏みにじり、かくあるべきという自分の思い描く認識や役割を無理矢理押し付けるヴィラン「ハイ・エボリューショナリー」をブチのめすという展開だったのは、何だか実に今日的である。
このハイエボさん、大マジで何の同情も出来ないクズ野郎で実にブチのめされるのに丁度いいキャラだったのだ。
しばらくマーベルファンというか映画ファンの中で「お前、頭ハイエボ」という煽り文句が流行りそうな感じがする程度にヤバくて面白いヤツだったのである。
若干ネタバレがある気がするが、ジェームズ・ガン監督の創るガーディアンズと今回でお別れなのはやっぱり寂しいけども、これ以上の作品が創れるかと言われると難しいぐらいに素晴らしい作品だった。
この作品を観るのにはそれなりに先行作の予習がいるけども、吹替を務めてきた山寺宏一さんが言う様にそれだけの価値のある作品である。
あとは、「お前、頭ハイエボ」という煽り文句と併せて、この作品がヒットしてくれる事を祈るだけである。
