神、もしくは自分がそうだと思い込んでいる人間に自分の為す事の意味を問うのは無意味である。
困った事にその事実を理解しないといけないのだろう。
北京冬季五輪、盛り上がっているかは僕には解らない。
なんとも冷淡な事だけども、そんな些末な事より僕を含めた柏レイソルサポーターのみんなは世界三大カップ戦で心も頭もいっぱいなのである。
上記のコラムにある様に、習近平国家主席は共同富裕というキャッチコピーで改めて所得格差の是正、中間層を増やし、様々な中小企業の技術開発支援を行うという政策を行おうとしている。
ただ、その一方でアリババのジャック・マーを始めとした富裕層に対する、恐らくは個人的な、締付けを更に加速させて、香港政策に代表される民主派への弾圧も積極的に行っている。
そんな最中によく北京冬季五輪が外交的ボイコットで済んだもんだと思うのだが、やはり放映権ビジネスには逆らえないし、上層だけの利権のやり取りがさぞ魅力的なんだろう。
このフォーリン・ポリシーのコラムは、中国の発展を支えたものとして民間活力と「失敗を恐れずやってみる」という大胆な実験精神の2つを指摘している。
確かに賛否はともかくとして、中国人の色んな物のコピーをしてみるという情熱は並々ならぬものがある。
その土壌があったから、自分の国でiPhoneやアマゾンに迫るプラットフォーム企業を上手く真似て作るという実験精神のもとでファーウェイやシャオミ、アリババといった大企業が育ったのだろうし、サブプライムローンやゆとりローンの模倣を行った結果、恒大集団を始めとした大規模な不動産のメルトダウンが起こっているのだろう。
こうした民間に任せるリスクを鑑みて、習近平国家主席様は第二次文化大革命とも言える大規模な共同貧困プロジェクトを推し進めている。
単純に自分の支配体制を確率する為に、あちこちから抵抗する勢力を排除したいという事だろう。
この点でも、本来は権力闘争がスタートで毛沢東のアジテーションと当時の中国人の毛沢東への信仰がとんでもない結果を産んだ文化大革命と、スタートの構造の類似を見る事ができると言える。
そして、その権力闘争の渦中で玉座に座っている両者はきっと自分や中国共産党の作り上げて来たと彼らが思う物と中国人が作り上げて来た物を破壊して、自分が生殺与奪の権を持つ物であるという事を示したいのであろう。
さながらお山の大将のいじめっ子が持っていたであろう幼稚な万能感を持つ人間をここまでのさばらせて来たという事実は、本人だけでは無くその構造を支えてきた連中、例えばバッハやらナイキやらインテルやら経団連やら、も同罪でそんな精神構造なんだろうと思う。
言い過ぎだろうけども、帰りの東西線がこの雪の中全く動かないのでヤツあたりである。
この構造を見て思い出したのは、ガンダムSEEDのリアルタイム時の大人の居ない世界という評価である。
これは「ガンダムUC」の福井晴敏さんがこう評していたのだが、それは作劇上のある程度の狙いであったとしても、正しい指摘であるとは思う。
ただ、この大人の居ない世界というのは困った事に現実に存在して、それを褒めそやして調子に乗せる腰巾着の小狡い子供の様な存在ももっとたくさんいるのだという事を実感してしまうのである。