まあ、始まってしまった新年をどう迎えるかである。
新年早々、僕は23:55のたなくじの写真が保存出来ていなかったのである。
「大吉に始まり、大吉に終わる」という有り難いたなくじだったのだけども、画像保存が何で出来てないんじゃといきなり躓いた感じがあるが、毎年こんなもんな気がする。
さて、新年を迎えるに当たって考えなければいけない事は何かとボンヤリと思っていたところで、このニューズウイークのコラムが目に止まったのである。
このコラムを書いたエリフ・シャファクはトルコ人でストラスブールに生まれて、ロンドンに暮らす方だそう。
トルコ語と英語とフランス語を自在に操るトリリンガル(どーでもいいけどトリリンガルという言葉の響きって妙にかわいいと思うのである)で、フランスで文化勲章を受勲し、イギリスでは王立文学協会会員として迎えられている凄い作家であり、いちおうの故国であるトルコでは確実に大統領様から疎まれるだろうグローバルな方のようだ。
シャファクは今の時代を「怒りと液状化の時代」と指摘する。
確かにやり場の無い怒りは容易に何かへ向かう憎しみへと転化するのは、近年思い知らされている事である。
例えば、10年代に起きたアラブの春はこのシャファクの指摘を証明するものであろう。
アラブの独裁政権が、SNSを使った民主化を目指す若者によって打倒されたという展開は、そこまでを切り取れば素晴らしい事象である。
だが、その後はどうなったのか。
ネットやSNSの普及で容易に情報アクセス出来る様になった、そうすれば正しい情報にアクセス出来、正しい政治的判断が下されて、迅速な情報拡散が独裁政権を倒す力になりうるという感じの言説は当時良く聞かれたものである。
だが、今では実際はどうだろうか。
この10年代が証明した事を指摘させて頂くのであれば、人は自らが見たいものや事を探すものだという事であろう。
反ワクチン主義やコロナウイルスに関する言説、トランプ政権の成立はこのとても不愉快極まりない事実を証明するものであるといえるし、結局人は自分の抱えた不満を肯定してくれるものに惹かれるのである。
そしてシャファクの言う液状化は、そうした不満が色々なものに煽られて混ざり合い、元の形を容易に見失う事だと言える。
こうした容易に怒りや不満がごちゃまぜに、かつ燃え上がりやすい時代において、シャファクが指摘する事、つまり自ら必要な知識を養い、物語を語れる人間であれるという事はとても重要だと僕も思う。
そして他の人の物語にも目を向ける事、それに取り込まれない事も同じ位に重要なんだろう。
そんな事を年初に考えてみて、僕のやる事というのは、今まで以上に腹の立つ事やフザけた事には中指を立てて放送禁止用語を喚く様な事を書くというあんまり変わんない事位にだよなと思いながらも、このしょーもないブログを読んだ方々が笑ったり、怒ってもらったり出来る様に抽斗を増やしていこうと思う訳である。
結局、やる事変わんないとツッコまれたらそれまでだけどね。