まずこのコラムを読んで早速使っている電子書籍サービスを検索した。
結構新書や文庫って電子化されるタイミングが出版からズレる事が多いのである。
ひとまずよく使うクーポンが使える方で電子化されていて一安心。
この項を書いたら買って読んでみよう。
この「超空気支配社会」、面白そうなのである。
僕は一応極端な事を言う連中を面白がって、その極端さを笑ったりツッコんだりしている、つもりである。
考え方としては、バードウォッチングに近い。
その変な事を言う人の立場を俯瞰というか、ある程度距離を取って見ているつもりである。
極論を笑う事は、そのまた逆の極論を支持するという事では決して無い、と思って書いているつもりである。
SNSの様な容易に他人と繋がれる気分になるツールがある今、いや今に限った事ではないのだけども、題材は何であれある意味何の反論も許さない極論はそれを支持する人にとっては心地良いというのは何度も指摘させて頂いているとおりである。
その、極論のループに囚われる事で人間は容易に自分達以外の考え方の人間が存在しないものだと思ってしまえる訳である。
例えば、僕はツイッターで暴れる自称フェミニストがとても苦手なのだけども、こうした人達は上で指摘させて頂いた様な人達の最たるものである。
そしてタリバンやアルカイダや様々な宗教の原理主義者も同列に扱ってもいいだろう。
これは極論であるけども、自分以外の意見が存在しないという致命的な想像力の無さは共通するものがあると指摘させて頂く。
例えば、僕はトットナム・ホットスパーをずーっとカスパーズとネタにさせて頂いているが、モドリッチやベイルがいた頃は結構好きだったのだ。
こんな風にカスパーズとバカにしているのは、その頃と比較してポチェッティーノ政権下のラフプレーが我慢ならないからなのだけども、そうした勝つ為ならどんなラフプレーも許されるという価値観は好きになれないが一応認める事はしようとは思う。
無論、その上でネタにはするのだが。
本来自分と異なる意見を聞くという事は、自分の考え方を俯瞰で見るキッカケになる。
その事はとても面白い事だし、それを楽しめる人間であろうと思う。
そして最後に極端な意見だけが正しい意見だとか良い意見じゃない。
どんな意見であれ自分で思ったり考えたりする事が重要なのだ。
人の意見がいいなと思ったら素直に認めたり、そう思えないならどうしてそう思うのかじっくり考えて見たらいいのだ。
だから僕はその事を理解した上で、アーセナルの強化部の仕事を笑ったり、先週のアトレティコVSビジャレアルの決着を面白がったりするのである。