話を引き出す、という事は実はかなり難しい。
そもそも会話というかコミュニケーションが成立しない状況も多い。
Communicationという英単語の接頭詞である「co」は共同・相互の意味があり、コミュニケーションというのは本来相互的なものであるが実際のところこの単語を使いたがる御仁は大体は一方通行な物言いをする事が多い、あくまで僕の経験則だが。
閑話休題、このコラムで紹介されてる本「You're Not Listening」、「あなたは聞いてなんかいない」ぐらいに取って置くべきだろうか。
ここで指摘されてる様に話を聞く際にここからどう話すかとかを考えているとか、割り込んで話を切ってしまうとか物凄く身に覚えがある方も多いのではないか。
そして「尋問」的な物言いになってしまうこともまた良くある事であるとも思う。
このコラムでも書いている様に、聞く事というのは大変な努力を要する事であり、どれだけ名インタビュアーと言う様な人でも自分が聞き上手であるといった過信は禁物であるという事実を大変だあと思うのか、そうならより考えなきゃと思うか人それぞれだろう。
僕は少なくとも後者である様で在りたいと思うのだが、常にそうも行かないわけである。
自分と趣味や考え方の違う人の話を聞く事は楽しい事であると思う。
別の視点でもの見るきっかけになるからだ。
でも例えばソシャゲの課金自慢とかを苦手な上司されたりすると、心の底からケーベツした気持ちでスッちまえとか思って話が続かなくなる、こういう事ってみんなあるよね。
全ての人が理解しあえるとは思わない。
どうしたって共感する事やフリすら難しいレベルで理解出来ない価値観や思考の人だっている。
ただこういう事をみんな心の何処かに置いていたら、きっとみんなコミュニケーションが楽になるだろうと思う。
でも話していて疲れる人はこういう事を思う事すらしないのだろうとかも思ってしまう訳で。
仕事でもそんな事を思う事ばっかりだ。
そしてこのデルタ株のパンデミック下でも、この危機について偉い人達はコミュニケーションを取ろうしないなあとも思ってしまう。
コレはこのコラムにある様に文化に起因する物かもしれないけど。
ただ偉い人達がそうだからといって市井の人間がそれに習う必要も無い訳である。
何の話をしていたかブレッブレだけども、少なくとも僕はこのコラムにある様に聞く事の難しさを思いながらも、自分とまた違う人と話す楽しさも忘れないでいようと思うのだ。