上記のリンクのインタビュー、どこからツッコむべきか分からなかった。
菅総理がお世辞にも優秀なリーダーとは言えないのは僕も同意する。
ただ実写の邦画でヒット作が出ないのはスクリーンが押さえられない事に帰結する思考回路であればヒットの構造について考える事もしないのでは無いか。
そんなふうに思ってしまった。
この映画プロデューサーの河村氏のインタビューは邦画の実写がヒットしない理由を考える良い教材になると思う。
手掛けた作品は国内賞レースにかかるという表現をしているがこれは当然である。
自分が常にノミネート作品を選ぶ側にいるからだ。
それだけ日本アカデミー賞とやらは狭く、権威や威光は高齢の業界人にしか効かないだろう。
「新聞記者」のモデルになった望月衣塑子記者はある意味気の毒な人である。
自分がジャンヌ・ダルクだと思わざるを得ないシチュエーションに置かれている訳だしね。
閑話休題、この河村氏は日大芸術学部の学生さんにアンケートを取って「みんな政治に興味が無い」とドヤ顔を決めている。
その事実は大変結構である。
ただこうも考えられないだろうか。
悪いけども今の若年層にはそんな事をしている暇なんて無いのではないか、と。
この河村氏の経歴を調べると、海外作品の買付・配給はなかなかセンスのある方である。
これは若い頃はしっかり映画に親しんで嗅覚みたいな物を養ったのだろうと思う。
ただそれはその時間を作れるぐらいには裕福だったからじゃないのか。
大体この団塊世代の人達が青春時代を費やした学生運動とかが出来たのは、きっとバイトする必要も無かったからじゃないかなと思ってしまう。
真面目に勉強して、バイトしてたら今の御時世なら尚更政治だなんだに近付く事はないだろう。
以前お話させて頂いた様に争点を曖昧にする傾向があるのであれば、面倒くさいの一言ですましてしまうだろう。
これは河村氏自身が認めてる様に彼らの世代の政治家やマスコミやらの問題ではある。
僕は日本の政治ドキュメンタリーに圧倒的に不足しているのは、客観性とエンタメ志向であると思う。
マイケル・ムーアとかサシャ・バロン・コーエンとかやる気になった時のケン・ローチとかそのあたりの人達みたいに笑いを取りながらも問を投げ掛けるという事をしない。
日本の政治ドキュメンタリーは扱う素材が絶対悪とするがそれを茶化して笑いツッコむ事をしない。
笑い、ツッコむ事で素材と撮る側を俯瞰で見る事をしないのだ。
そして決定的な病理に迫らない。
その証左として電通の過労自殺を扱ったドキュメンタリーがあっただろうか。
ある意味でこの人達は安全圏から自分に牙を剥かない対象をニヒリスティックに撮ってるに過ぎないのではないかと思うのだ。
観てもいないのに言うのは失礼とご指摘頂くかもしれない、でもコレもまた傲慢な言い方だが前述した僕なりの基準で言ったら観るに値しないのだ。
もしそうした批評家思考とツッコミ力を養いたいのであれば絶好の場所がある。
コミケである。
どんなネタだろうと右も左も関係無しにネタにして笑い飛ばす、そういう環境にさらされないから日本の政治ドキュメンタリーは、いや邦画はヒットしない事を観客のせいにし続けるのだろう。
邦画人はコミケに行け。
まるで北方謙三先生の様な言い方である。
まあ北方謙三先生に敬意を表して、読んだ事ないけども。