なんというか逞しいものだ。
上記のコラムはISIS(僕は自動車産業に縁も無いので正しいと思われるこの表現を採用する)戦闘員の家族が収容された難民キャンプ内でのチャットの記録についてのお話である。
あくまでISIS構成員の家族であるので、生活感の溢れるやり取りになるのは当然だろう。
戦闘員様は殉教出来ればアガりなので生活なんてどうでもいいものになるけども、その家族はそうもいかないのである。
普通に考えると宗教的大義とやらに殉じるのであれば家族を設けるなよとか家族に迷惑かけんなと思うのだが、社会情勢や文化が根本的に違うのでそんな指摘にはあんまり意味がないのかもしれない。
ISISの残された、または残される予定の家族は亭主が殉教とやらに勤しんでる間、生活の為に難民キャンプ内で生活必須品のやり取りやペットの行方探しをチャットアプリでやり取りしたりしている訳である。
もちろん難民キャンプなのでISISの家族または支持者もいるし、被害者もいる。
最初は支持者とそうでない人のスレッドを分けたりしてたらしいが、今では区別せずこういうやり取りに市場原理主義が働いて宗教的な信条等も区別され無くなっているらしい。
以前は難民キャンプの警備兵に支持者の子供が石投げたりするのが日常だった様だが、スレッドでもリアルでも批難される行為になっている。
このコラムのオチにある様に、宗教的な信条では食っていけない訳で、ISISの構成員の家族はこの事を痛感して折合いを付けて行く様になっている。
本来は構成員とかそのプロデューサーさんが考えなきゃいけないんだろうけども。
こういう必要に応じた融和、といって良いのか解らないけどもそういう物が生まれる環境がどれだけ作れるかなのだろう。
ISISに関しては、というか全ての過激思想に関してはと表現を改めるけども、裏にいる黒幕の目的は何か考える事が必要だ。
ハサウェイがマフ活を運転手のおじさんに論破されてたけど、大体の大義とやらは表層的な目的の裏にしょうもない事実がある。
そこには大義に準じるという視点以外から離れてみる事は必要であるが、それをさせないのが教育であり洗脳である訳で。
でもこうした状況下では、亭主以外は理念とやらが食えない物である事にピンと来てる訳で。
そうした事実にある意味での希望みたいな物を感じるのだ。