diary 阪神淡路大震災から29年・慰霊の日 | Love! Music& Love! Life

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☆1月17日☆

今日、1月17日は阪神淡路大震災(1995)が
起きた日です。あの日から29年目の今日。
神戸など各被災地では、慰霊の行事が行われて
いるのでした。

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能登地震直視できず 北淡震災記念公園で
追悼の遺族女性 「生かされた命」未来のために
https://www.sankei.com/article/20240117-CEEEFOF6CBM7NPNLSSH3CDJ77Y/

阪神大震災の震源地となった兵庫県・淡路島
では、淡路市の北淡震災記念公園で追悼式典が
行われ、厳しい寒さの中、約150人が犠牲と
なった人々の冥福を祈った。島内の犠牲者数に
島外で亡くなった1人を加えた63個の竹灯籠
を人工池に浮かべ、午前5時46分に黙禱
(もくとう)。住民らでつくる「フェニックス
合唱団」が震災からの復興を願う曲「しあわせ
運べるように」を合唱し、遺族らが慰霊碑に
花を供えていった。

同公園で「震災の語りべ」を務める女性=淡路
市=は、親族の女性を亡くし、近所に住む知人ら
7人も犠牲となった。住んでいた自宅は全壊。
一時生き埋めとなったが、父親が屋根瓦を取り
払うなどして救出してくれた。

今年の元日、能登半島地震のニュースをテレビ
で見て「金縛りにあったみたいで、テレビを
直視できなかった」。自身の経験と重ねながら
能登の地震で生き埋めになった人々を思い、
「寒さと恐怖を思うといたたまれなかった」と
声を詰まらせた。

それでも、女性は追悼式典に足を運んだ。
園内にある慰霊碑に花をささげ「29年間、
生かせていただいています」と追悼の思いを
伝えたという。

「私は一度死んでいる。あとは『おつりの
人生』。子供たちに命を守る術を身につけて
もらうため、自分の記憶を語り継いでいきたい」。
女性はそう話し、「語りべ」活動のため島内の
2小学校へ向かった。(藤崎真生)

(産経新聞 2024/1/17 09:48 藤崎 真生)
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今年も「1.17」の日を迎えました。関東大震災
以降、新潟地震(1964)など戦後も大きな地震
とかがあったものの、この阪神淡路大震災の
ようなマグニチュード7.3という巨大な地震は、
2011年の東日本大震災が起こるまで、日本では
起きなかったことで、大きな被害を生み出す
結果になってしまいました。

1995年1月17日 阪神淡路大震災 地震発生の瞬間
関西で唯一生放送していた朝日放送のスタジオ
~大きな被害が出た神戸 【まいにち防災】



私の地元、兵庫県川西市も震度6を記録し、
全てのライフライン(電気・ガス・水道)が
破壊されたとのこと。

今、能登半島を中心とする被災地の方々に、
どれだけの支援がされているのか分からない
ですが、どうか、少しでも早く復興・復旧に
向かうことを切に祈るばかりです……。