diary 元NHKキャスター・磯村尚徳さん死去 | Love! Music& Love! Life

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☆12月13日☆

夜、一息ついていた時に見た、元NHKキャスター
の磯村尚徳さん死去の一報。今も続くNHK夜9時
の報道枠の番組、『ニュースセンター9時』の
初代キャスターとして、70年代半ばから80年代
の終盤まで、『NHKの顔』であったアナウンサー
だった磯村さんの訃報に驚いたのでした。

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磯村尚徳さん死去「ミスターNHK」
都知事選出馬も
https://www.sankei.com/article/20231213-TR7OEQIJCBLWPO35L7G2TTZSRA/

元ニュースキャスターで外交評論家の磯村尚徳
(いそむら・ひさのり)さんが6日、
骨髄異形成症候群のため死去した。94歳。

東京出身。昭和28年に学習院大を卒業して
NHKに入局し、ワシントン支局長、外信部長
などを歴任。49年に「ニュースセンター9時」
の初代編集長兼キャスターに就任した。
それまでのアナウンサーが原稿を読み上げる
ニュース番組のスタイルを大きく変え、
「ミスターNHK」と呼ばれ人気となった。

平成3年の東京都知事選にNHKを退職して
出馬したが、落選。その後、フリーの外交評論家
として活動した。
著書に「ちょっとキザですが」など。

(産経新聞 2023/12/13 19:56)
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ニュース番組を変えた「モノを言うキャスター」
磯村尚徳さん死去
https://www.sankei.com/article/20231213-YNX3X6UPW5JOFMLGRG6BWEJUFQ/

6日に亡くなった元ニュースキャスターの磯村
尚徳さんは、ニュース原稿をアナウンサーが
読み上げる「お堅い」イメージが強かった
ニュース番組を一変させた。体を少し斜めに
してカメラに向かい、笑みを浮かべながら
視聴者に語りかける。NHKの「ニュース
センター9時」(NC9)が、お茶の間に
与えた印象は新鮮だった。

■アナウンサーも取材

「気のせいでしょうか。いつもの年より長く
かつ寒い冬がようやく遠のきまして、やっと
4月になりました…」

昭和49年4月1日午後9時、磯村さんの
こんな挨拶からNC9は始まった。新番組
の誕生を主導したのは島桂次報道番組部長
(後の会長)だったが、外信畑を歩いて
きた磯村さんは、編集長として記者が
スタジオで話し、アナウンサーも現場で
取材する新しいニュース番組作りを提案した。

「アメリカのキャスターは斜めに構えて
話していた。モスクワ放送なんて共産党
の総本山なのに、そこですら日本よりは
余裕を持ってしゃべっていたんですよ」。
テレビの放送開始60年の節目となった
平成25年の取材で、磯村さんは産経
新聞記者にそう語った。

ただ、初日は「今までやったことのない
新しいことをするわけですからね。覚えて
いないくらい緊張しました」。

■会長辞任にコメント

当初、視聴者からは「無礼だ」「何だ
あの態度と服装は」などと批判の声も
あったという。スタッフからも「いつもの
磯村さんじゃない」という声が出た。
原因の一つは、磯村さんの前に設置されて
いた原稿を表示するプロンプター。
どうしてもそちらに意識が行き、堅く
なってしまう。2週目からは手元にメモ
だけを置いてしゃべった。リラックスした
磯村スタイルが板に付くのは、この頃からだ。

とりわけ注目を浴びたのが、51年9月3日、
NHKの小野吉郎会長の辞任を伝えたとき
だった。前月に、ロッキード事件で逮捕後
保釈された田中角栄元首相を、小野会長が
出勤前に見舞ったことが発覚。NHKは
その事実を積極的に報じなかったが、引責
辞任した当夜、磯村さんは番組の中で
「視聴者から数多くのおしかりをもらい、
責任の大きさを痛感しています」と陳謝し、
「これは上司にも相談していないこと
ですが」と付け加えた。

辞職を覚悟しての発言だったが、「身内の
不祥事を報道しないのは、報道機関として
失格だと思った」。これが「モノを言う
キャスター」像が定着するきっかけとなった。

■「自分の意見」に一線

翌年3月までキャスターを務め、その後、
報道局長などを歴任。特別主幹だった平成
3年、自民党などからの要請を受けて、
東京都知事選に立候補した。記者会見では
「記者の現役を全うしたいと思っていたが、
お断りすれば混乱がひどくなる。苦渋に
満ちた決断をしました」と語った。

著作「ちょっとキザですが」のイメージが
強かった磯村さんは、銭湯でお年寄りの
背中を流すといった意外なパフォーマンスも
披露した。しかし、自民分裂もあって
鈴木俊一氏が4選を飾り、
落選した磯村さんは外交評論家に転じた。

「モノを言うキャスター」はその後、テレビ
朝日系「ニュースステーション」の久米宏氏
らに引き継がれた格好だが、しばしば批判の
的にもなっている。磯村さんは10年前の
取材で、「私は番組で自分の意見は言った
ことはない」と言い切った。「外信育ち
ですから、『どこが報じている』という
クレジットをしっかりつけて話しています。
そしてキャスターが『私はこう思う』という
のは言うべきでありません」

自分の言葉で語ることと、自分の意見を言う
こととの間に、一線を画した自負を持ち続けた
「初代ニュースキャスター」だった。

(産経新聞 2023/12/13 21:36)
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画像キャプション

磯村尚徳氏(1991年3月16日撮影)
(日刊スポーツ 2023年12月13日20時55分 より)
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後の『ニュースステーション』(テレビ朝日系)
とか『NEWS23』(TBS系)に通じるキャスター
による報道番組、その先駆けとも言えるのが
NHK総合テレビ・平日夜9時から始まるこの
『ニュースセンター9時』という番組でした。

未だ「テレビが報じるニュース」よりも、
活字媒体(新聞など)の方が信用されていた
時代、テレビが伝えるニュース、報道番組の
あり方に変化をもたらした番組でした。

後発組である『ニュースステーション』での
久米宏氏(元TBSアナウンサー)や『NEWS
23』の筑紫哲也氏(元朝日新聞記者・編集
委員)が番組内で自身の意見を述べている、
そのスタイルとは最後まで一線を画していた
ような記憶があります。

心からご冥福をお祈りいたします。