diary 『ヒトラー暗殺未遂事件』から76年 | Love! Music& Love! Life

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☆7月22日☆

今年は、明日23日が『海の日』の祝日で、明後日24日が『スポーツの
日』(※東京五輪に合わせて、10月の『体育の日』が名前が変わって
五輪開幕日の24日に移動したとのこと)ということで、土日を入れて
「4連休」になるとかならないとか。

あまりそういう曜日に関係ない生活になっている自分としては、「あ、
そうなの?」という感じですが、でも、この暑くなる時期に五輪開幕
って、やはり日程だけでも秋以降に移動すべきだと思うのですが……。

さて、今から76年前の1944年(昭和19年)7月20日(第二次大戦中)
に起きたのが、東プロイセンにある総統大本営での『ヒトラー暗殺未遂
事件』、トム・クルーズ主演の映画『ワレキューレ』で描かれた出来事
でした(何度かヒトラー暗殺未遂事件があったので、『7月20日事件』
としてこの事件は呼ばれている)。




写真(上):事件当日、総統大本営を訪れたムッソリーニに事件現場を
見せるヒトラー総統
写真(下):空軍将校や党幹部と共に事件現場を見るゲーリング

総統大本営での作戦会議でヒトラーを爆薬により殺害&首都ベルリンを
反乱に協力する部隊が抑えることで、戦争の停戦、和平を求めるという
目的だったのですが、反乱側の色々な手違いや見通しの甘さ等が重なり、
結果、反乱派の軍人(及び政府内部や民間の協力者)は逮捕されると
いう展開になったのでした。

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ヒトラー暗殺未遂76年で追悼式 独国防相「勇敢な人々の良心」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/43870/



【ベルリン共同】第2次大戦中、ドイツ軍将校らがナチス総統ヒトラーの
殺害に失敗した暗殺未遂事件から76年となる20日、ベルリンで追悼式
典が開かれた。処刑された将校らはドイツでナチス体制に抵抗した軍人と
してたたえられ、クランプカレンバウアー国防相は
「事件に関与した勇敢な人々の良心は意義あるものだ」と述べた。

第2次大戦後半の1944年7月20日、シュタウフェンベルク陸軍大佐は
総統大本営の会議室に爆弾入りのかばんを置いて退出した。かばんは
爆発したが、ヒトラーは軽傷だった。大佐は同日中に逮捕され、仲間の
将校らとベルリンで銃殺になった。

写真キャプション

ベルリンにあるドイツ抵抗運動記念館に展示された
シュタウフェンベルク大佐(左)の写真
((C)Gedenkstaette Deutscher 
Widerstand提供・共同)

(東京新聞 2020年7月21日 10時25分 (共同通信))
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この反乱派の人たちに協力する軍人や政府内部の人も相当数存在した様子で、
家族もろとも連行するというゲシュタポ(国家秘密警察)の激しい追及やら、
ある意味巻き込まれた(というかえん罪に近い)形で命を落としたロンメル
元帥(カイテルやヨードルがロンメルを目障りと思っていた)やら、当時の
ヒトラー側の復讐に近い形での操作や尋問は、今でも記録として残っている
ものだったりします。

ただ、ある意味個人的に思うことは、戦後のドイツ(特に旧・西ドイツ)で
第二次大戦を象徴する日について調査があったところ、降伏の日(1945年の
5月7日及び8日)ではなくこの『7月20日事件』が起こった日を上げる人が
多いという、そういう報道を数年前に見た記憶があるのですが。

でも、ナチ党など保守政党3党連立のヒトラー政権が1933年(昭和8年)1月
30日に出来上がったのは、直接的には当時のヒンデンブルグ大統領の指名で
あるけど、指名させるに至ったドイツ国会議員選挙で、ナチ党に議会第1党の
議席を与えたのは当時のドイツ国民(※普通選挙権で男女共に投票が出来た)、
その投票であったことなのに、なぜこのことを意識しないのか?自分たちが
ある意味ナチ党政権を生み出したこと、それをどう思っているのか……という
ところが、ずっと心の中で引っかかっていたりします。。。