2011年3月11日…

忘れてはいけない大震災の日。



その日の私自身の出来事を、超自分目線で書いています。あしからず…。



今まで経験したことない大地震の後、
余震がくるだろうことは想定してたけど、

マンションが頑丈だってことは、さっきの揺れで実感した。

でも、地域一帯が電気水道ガスなどライフラインが全滅だったから、

手の届く範囲に、
携帯、ラジオ、懐中電灯、水、毛布を用意した。

その後は、
寒いし、暗いし、やることないし、情報もない。
水がないから、トイレも控えるために食べたり飲んだりもできない。

そこで、私がとった行動…、

それは『寝る』でしたビックリマーク


今思えば、本当に非常識ねっ!!

でも、何にも知らなかったし、知っても何もできなかったけど…ガーン


私が起きたのは、タダさんが会社から帰宅した17時ひらめき電球
(それまで大きな余震はなかったらしい。)

帰ってきたタダさんに、
「東北が大変なことになってる!!」って聞かされ、ただただ驚いたあせるあせる


その夜は、ライフラインの復旧のめどが立たないため、
タダさんの実家に行くことにした。(停電も断水もなかったから。)

でも、信号機も停電してる箇所があり、渋滞は必至。
歩道には、帰宅困難な人たちがたくさんいたビックリマーク

なんだか、改めてスゴいことが起きたんだと実感して、

私たちは、事故なく怪我なく、あずみの元へ戻らないと!!って思いました。

本当はすぐにあずみのところに行きたかったけど、
地震で新幹線、東名高速もダメダウン
関東脱出も不可能な状況だったあせる


タダさんの実家に着いて、
私は初めて地震の映像を見た!!

タダさんには聞かされてたし、車中のラジオで状況はわかり始めてたけど…、

本当にビックリした目!!

ありえないことが起きてた!!

寝てる場合じゃなかったよ、ホントガーンガーンガーン


夜21時を過ぎて、
あずみの病院、実家に連絡がついて無事を報告できたニコニコ

ホッとした私はまた寝ましたぐぅぐぅ

(大きな余震が3~4回あって、飛び起きたけど…あせる


まだ、つづく……。。。