前回まで、上京と下京の主な建物と、
室町期の京都で盛んに活動していた武将や
宗教家と各宗徒、商人たちについて触れてきました。
一回りしたところで、もうひとつ、
この時期の京都の街の特徴として
重要な施設についてお話しします。
それは、「惣構」です。
惣構(そうがまえ)とは、街を囲うように
作られた堀や土塁・塀を指します。
室町期、京の都市域は平安京の範囲を超えて
北方向に拡張しました。
その後、ごく限られた範囲が「惣構」つまり
防御施設で囲まれ、
一部の地域が、ある種の「城塞化」しました。
囲まれた地域で何をしていたかというと、
商人や職人ら、町人が自治・自衛態勢を固めつつ、
中で生活や商売をしていたようです。
ポイントは、惣構を管理して町を守っていたのが、
武士ではなく、町人だったってことですね。
町人も武器を持ち、時と場合によっては
武士にも対抗していました。
平安京とその周辺の地図でみると、
こんな感じです。
地図の青い太線が、大まかな堀のプロットです。
上京と下京にそれぞれあり、
水路と塀で街を囲んでいました。
イエズス会の牧師によると、上京と下京の惣構は
室町通りのみが貫通していたそうです。
上京から烏丸通りを下ると、足利義昭の御所で
行き止まりになったみたいです。
上の写真は7年前の上京での発掘写真です。
幅が6mくらいあって、なかなかごつい堀です。
こういった堀と塀とで街を囲んで、
出入口には下のような櫓門がありました。
なぜ、上京と下京に
このような囲いが現れたのか。
次回から詳しく見ていきます。