引き続き、小川通りを下ってみます。

 

 

 

 

大屋根の建物が3つ並んでいますが、

これらは寺院です。

 

 

 

 

平安京が作られた平安時代には、平安京内には

目立った寺院はありませんでした。

 

桓武天皇が、平安京を作って新しい政治を始めるにあたり、

奈良の既存寺社勢力による政治への干渉を避けたかった

ため、東寺と西寺以外、平安京内に寺院は作らせませんでした。

 

 

そのかわり、新勢力の最澄に比叡山延暦寺、

空海に東寺を任せてバランスをとったんですね。

 

 

 

 

そこから時代が下って、平安京内に寺院を作らせない、

というローカルルールは形がい化します。

 

 

上京は平安京の範囲外ですが、相国寺をはじめ

いわゆる鎌倉新仏教の臨済宗や浄土宗の寺院が

どんどん建っていきました。

 

 

 

右の建物から見ていきましょう。

 

中央右に「せいくわんじ」と書いてあります。

漢字表記だと「誓願寺」です。浄土宗のお寺。

 

 

 

 

誓願寺は現在では移転し、

中京区の西京極通りに実在します。

 

 

 

 

次に、中央の建物2つ。

 

右側の建物、中央右寄りに「かうだう」とあります。

漢字表記だと「革堂」、革堂行願寺を指します。

 

天台宗の寺院で、創建は1004年。

当時からこの一条小川にあったそうです。

 

 

 

 

現在は中京区の寺町通に移転しています。

御所の東南角あたり、雰囲気の良いにぎやかなところです。

 

 

 

そして左側の小屋っぽい建物には、通りに「ふろ」とあります。

 

現在の銭湯のような庶民向けの建物だったようです。

ルイス・フロイスも、日本人の清潔好きを指摘していましたが、

このあたりを行き来していたのでしょう。

 

 

 

 

そして残り、一番左の建物。

 

建物中央上部に「百万へん」と記載があります。

浄土宗の寺院、「百万遍知恩寺」を指しています。

 

 

 

 

百万遍知恩寺は現在、左京区の京都大学近くに移転しています。

相国寺のあたりで創建され、1382年時点で上記の小川通りに立地していました。

 

 

 

 

小川通りには当時、鎌倉新仏教である浄土宗の寺院が並び、

革堂行願寺のような天台宗の古刹もあって庶民の信仰を集めていました。

 

通り沿いは参拝客も含めて相当にぎわっていた様子です。

 

 

 

 

貴族の街だったはずの平安京が700年以上経過し、

上京に範囲を広げ、経済力をつけた商人や庶民によって

ますます活気あふれる街になっていったようです。

 

浄土宗や浄土真宗、日蓮宗は、特に商人や庶民によって

熱心な信仰を集めていましたからね。

 

 

 

 

室町から戦国時代にかけ、京都は商人と庶民が

力をつけて、賑わいを増していったんですね。