前回まで、南北朝期の平安京の変化について

書いてきました。

 

 

ようやく室町に存在する「花の御所」に言及出来て、

やっと室町時代の話ができるようになった気がします。

 

 

 

 

 

 

ここまでくると、室町時代の地図を見てみてたくなりますが、

残念ながら、そのような絵図はありません。

 

 

 

 

 

応仁の乱で主たる建物が焼け、天皇の御所、将軍御所、

それぞれが仮設建物であった時期もあり、

 

地図なんて作って意味あるか?

て状況だったのでしょう。

 

 

 

 

 

地図とは異なりますが、信長が上杉謙信に送ったという、

上杉本洛中洛外図屏風(狩野永徳作)は、割と室町期の街並みを

後世に伝えています。

 

(上杉本洛中洛外図屏風・・・米沢市上杉博物館)

 

 

今後、この屏風を丁寧に読み解いていきたいのですが、

今までの地図と比較して考えるため、目を慣らすために、

 

まずは近い時期の京都絵図を見て、変化を実感します。

 

貞享3年京大絵図(1685年)

カラフルで楽し気な絵図です。

 

 

 

貞享3年は第5代将軍・徳川綱吉の時代。

 

応仁の乱以降の内乱や大火災などを経て荒廃した京都を

秀吉が再開発した街をベースに、徳川が手を入れています。

 

 

 

 

 

秀吉が街並みをいじりましたが、彼の再開発はそもそも、

室町期の荒廃がひどかったための復興開発の意味合いも

ありましたし、

 

政治の中心が江戸に遷り、この時期はまだ京はさほど

発展していなかったため、室町期の京の様子を色濃く

残している絵図です。

 

 

 

 

 

なので、平安京の地図からの変遷を読み解くに

適した地図ともいえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

しかしこの地図、ちょっと変です

 

 

千本通は、昔の朱雀大路ですが、

右京があり得ないくらい縮小してる?

 

その他、謎な部分が散見される地図です。

 

 

 

 

 

現代で言う地図というより、

制作者の主観が色濃く表れた絵地図といったところか。

 

 

 

 

 

次回以降、この地図を詳しく見ていきます。