昨日8月15日は終戦の日です。

この戦争を一般的には第二次世界大戦と呼び太平洋戦争、
大東亜戦争とも呼ばれます。

また終戦記念日とも呼び、敗戦記念日と呼ぶ人もいます。
それはそれぞれの思いがあり、呼び方のも影響するのでしょう。

外国では9月日2日と定める対日戦勝記念日と呼ぶ国が多いようです。
日本では8月15日としていますが、それぞれの家庭では
決してこの日で戦争が終わったわけではありませんでした。

私の母方の祖は厳格な人格の人でした。
外孫ではあるものの初孫ということで、
私はずいぶんとかわいがってもらいました。
家は農業を営んでいましたがが志願兵として
戦地に赴いていました。
残された家族で農業を守ることは大変だったでしょう。
終戦を迎えたのはソビエトとの戦いの場。



北方領土を不法占拠された状況を
内閣府の説明の一部を引用すると
「1945年(昭和20年)8月9日、ソ連は1941年に署名され当時有効であった
日ソ中立条約を無視して対日参戦しました。ソ連軍が千島列島最北端の
占守(しゅむしゅ)島に上陸したのは、わが国がポツダム宣言を受諾して
連合国に降伏した8月15日から3日後の8月18日でした。その後、ソ連軍は
島づたいに南下し、8月31日までに千島列島の南端であるウルップ島まで
占領を完了しました。
 更にソ連軍の別の部隊が、8月28日に択捉島、9月1日から9月5日までの間に
国後島、色丹島及び歯舞群島のすべてを占領してしまいました。」


当時ソ連はこのような卑怯なやり方で参戦しその挙句
この地で戦っていた祖父は捕虜となりました。

捕虜生活はそれは過酷なものだったそうです。
したがって家族としてはソ連を引き継いだロシアは
正直言うと好きになれないし、野蛮な国、約束を守らない国
という感情は消えるものではありません。

ただ、芸術文化は尊重する国民性はあったのか・・・
捕虜生活はつらくて、見つかって死んでもいいと思って
そこにあったピアノを弾いたそうだ。
それは見つからないはずはない・・・
そして、日本の曲を弾くように命じられたとのこと
とりあえず、それでおとがめはなし、
その後の労働は軽減されたとのことでした。

しかし母の家では祖父が帰るまで戦争が終わったとは
言えない状況だった。



終戦の日が近くなると、戦争に関する報道や番組が
放送されますが、どれも変わらないような気がします。
この戦いを報じるときにはもっといろんな場面、事象や、
その背景、そして時代背景も合わせて報じるのが望ましい。

アメリカの奴隷政策や黒人に対する人権問題は
今の価値観に照らすとめちゃくちゃなことをやっています。
欧米各国も軍事力を持って植民地を増やして富を搾取した時代がある。
特にそのアジアの国々の独立を支援したのはどの国だったのか・・・
韓国、中国以外のアジア各国の状況をしっかりと
報道するべきではないだろうか。
ロシアが日本にとった非道な行為など、ほとんど報道されないため、
知らない人が多いのではないだろうか。


これから将来戦争をしてはいけないことは当たり前のことですが、
戦争を起こさないためにも、イメージで平和を語るのではなく、
国民が何を考え、どのような行動をとるべきなのか、
現実を直視し、事実、背景を知り判断することが
大切ではないかと思います。