
逆飛行機雲。


“穴”という概念は不思議である。
僕は某ドーナツチェーンでは、チョコレートの掛かったオールドファッションが一番好きなのだけれど、最初の一口であのチョコレートの部分を一気に食べてしまう勇気がなく、いや、そんな事はどうでもよかった。
そう、ドーナツを食べる時にいつも思うことがある。
「ドーナツの中心は穴が“有る”のか、何も“無い”から穴なのか」
或る物質があって、その末端ではない一部が欠けた状態を“穴”と呼ぶが、つまりそれは、“無い”ということを示している。
“無い”のにも関わらず、それに“穴”という名前を付ける行為によって、穴が“有る”ことになる。
とすると、今自分が居る“空間”は、空間が“有る”のか、何も“無い”から空間なのか。
“空間そのもの”というのは、認識できるのだろうか。
例えば、今自分が居る場所。それは部屋だったり、電車の中だったり、或いは街だったりするだろう。
その中で(当たり前のように)“空間”を認識していると思えるが、実はそこで認識しているのは、“空間そのもの”ではなくて、“部屋を形作る壁や、電車の内部や、街なかの建物”と、自分との相対距離なのではないか。
つまり、実際は空間を認識しているのではなくて、“知覚できる物質と、自己との関係性”を認識しているだけで、その“関係性”において物質が“無い”部分を空間と“名付ける”ことで、空間を“有る”ものとしているのではないだろうか。
秋の夜長。