こんばんは、あずきです。
明日はペルセウス座流星群が極大だそうですね。
流星群といえば彗星。
ということで、本日は簡単に彗星のお話です。
以前、星空宇宙天文検定という検定を受けたのですが、
その時に教本の隅々まで一応お勉強して
(そして今はすっかり忘れているんですけどね…)
疑問に思ったことがありました。
皆様は天文学というと、最初に思い浮かべるのはギリシャ神話じゃないでしょうか?
ギリシャ神話の英雄や登場人物を星をつなげて星座というものを作ったと。
日本人はそういうことやらなかったんでしょうか?
実は、日本は古代からめちゃくちゃ星を研究していました。
民間の動きで言うと、オリオン座の三ツ星を古代日本では住吉三神に例え、漁の時期を星の動きを見て決めていたり。
ギリシャ神話と同じように星を神様に例えるという思想はやっぱりあったのです。
平安時代のある貴族の日記には月の後ろに惑星が隠れるのを夜中に外に出て時刻を詳細に書き留めたマニアックな記録が残っていました。
同じく平安時代。
かの有名な陰陽寮では、毎夜毎夜天体の動きを観測し、天皇に奏上していました。
日本人が古代、農耕民族で夜は早く寝るために空には関心がなかった、といううわさもありましたが、
私はたぶん、これらは風水と同じで、
天体の動きは天皇陛下に奏上すべきもので
秘匿すべきものだったから出回らなかっただけ
なんじゃないかなぁと思っています
天の動きは天皇陛下へ、天におわす天帝からのメッセージだったのです。
つまり、天文=民間に知られちゃいけないトップシークレットです。
そして今なぜ西洋式の天文学しか伝わっていないのでしょうか?
そもそも世界の基準がそれだから、といえば元も子もないですが、それとは別に各国の神話とその国の天文の観点って、結構現代まで残っているものなんですよね。
日本でも、江戸時代までは、西洋式の星座は広まらなかったようですから(研究はめちゃくちゃしていましたが))
これは私見ですが、多分、刀剣と同じように明治維新後に廃仏毀釈、西洋化のあおりを食らって日本の星座は時代の波に消えていったんじゃないかな…。もしくはGHQ。どっちも許さん。
さて、話を戻しまして。
陰陽寮(の天文の部署)では彗星が出現するとこのように解析していたといいます。
- 彗星の尾の長さ
- どの星座領域に現れたか
- どう移動したか
陰陽寮の話は結構長くなるのでまた今度にして、今日はここまでにします。
最後までお読みくださってありがとうございました