温泉に来ています。
何かのついで、じゃなく
純粋に遊ぶ目的での小旅行は1年ぶりな
わたしが輝く服を着よう
Rookmie (ルックミー)
お針子ルミです。
みなさまいかがお過ごしですか。
荷造りしようとカバンを出したらコレ
ハードに忙しく過ごしていた最後の頃
温泉行きたい!ゆっくりしたい!って
発作的に予約したんです。
いまは…少なくとも物理的にすっかり余裕ができて
気分的にタイミングずれちゃったけど
もうキャンセルもできないので。
あいにくのお天気ですから
さっさと旅館の車で迎えに来ていただいて
チェックインしたら
もうひま
アレー温泉てこんなひまだったっけ
部屋でお茶を飲んでいると
聴こえるのは
川の流れるざあざあいう音と
鳥の鳴き声ばかり。
普段の喧騒とは別種の音たちです。
まあ、実家はこんなもんですが…
さて、タイトルの
こころを映し出すもの、
自分の今の精神状態なんかに気付けるサインは
人それぞれ色々あると思うんですが
わたしの場合そのひとつに
洋裁があります。
冷静になれないとき
ココロの中で何が暴れているとき
よこしまな考えがあるとき
作ってるものにそれがズバリあらわれる、
面白いほど綺麗に縫えないんです。
なんでこんなとこ間違った?
→縫い直し
なんでこんな不思議な出来上がりになってる?
→この部分はこの方法でリカバーできるかな…
→後の工程で結局にっちもさっちもいかない展開
→結局縫い直し
この1週間は特に
自分の不手際をもう笑うしかなく
笑いながら粛々とやり直しております。
オーダー頂いたものはもちろんのこと
そして、今では自分用のものも
ちょっとごまかしてテキトーに強引に完成させたものなんかは
袖を通したくなくなっている。
わたし、
モノって何かしらエネルギーを発してると思うんです。
作ったひとや
作られた場所なんかのかすかなエネルギーって
そのモノに残ってる気がしてならないんです。
自分の身近に置いておきたいもの
もう置いておきたくないもの
身につけたいもの
そうでないもの。
この前、とあるショップで
ジャケットを試着したんですけど
ほんとにほんとにすこーしだけ窮屈で。
鏡で見ると丈も足りてるし
そうは見えないんだけど
昔ならちょっとくらいの違和感我慢して買ってたかもな。
でも今回は買わなかった。
小さい違和感って
あとあと大きな違和感になるから。
ま、しゃーない、で流せるくらいのものならいいんだけどね、
ジャケットって結構大きいし嵩張るし
そのモノ自体存在感あるもんね。
反対に、サイズは合ってても
しっくりこないだけじゃなく
見てるだけで寂しくなるようなモノもあって
あれ、ホントなんなんだろうね。
モノにはいろんな役割があるけど
少なくとも自分がエネルギーを注いで作るものは
自分のこころを映し出すものなんだっていうことを
忘れないでおこうと思います。
帰ってスッキリした気分で作業にとりかかれるよう
温泉で身を清めて、
野菜料理を食べてきます。
………わーんご飯までにまだまだ時間ある笑笑