ぼちゅが去年の秋、調子を崩して以来
行きつけの動物病院でカリカリを購入しています。
アレルギー対応フードで、病院でしか買えない上に
結構お高い。
でもこのフードに変えて以来、不調がぴたっとおさまっているので
「ぼちゅよ、私のバイト代はキミのカリカリのためにあるのだよ」
と、プチ母心を感じております。
そしてありがたいことに(ううう)、よく食べてくれるので
しょっちゅう病院に買いに走ることになり
とうとう顔を覚えられたようです。
昨日もそのカリカリを買いに行ったのですが
受付でなぜか言葉が出てこず
「えーと、あのー、えーと」
とモゴモゴしていたら、
「あ、猫のフードですね」
と、診察券も無しで売ってくれました。
もう顔パス。ふふん。
さて先週、バイト先の会社のイベントで
スタッフ紹介のスライドを作ることになり
コメントと合わせて、それぞれの「今と昔」の写真を貼り付けることになりました。
子どもの頃の写真は実家にしかないので
母に連絡して送ってもらうことにしました。
冒頭の写真は、母が送ってくれたもののうちの一枚で
3歳になる直前、「入場料がかかる前に行くで!」と
突然東京ディズニーランドへ行った時の写真です。
一張羅のワンピを着せてもらっています。
不思議ですが、この服が当時の私のとっておきだったということを
今でもかすかに覚えています。
この時の記憶はほとんど無く、
それ以外に覚えているのは宿泊したホテルで鼻血を出して
ベッドのシーツを汚してしまったことくらい。
(興奮しすぎたのか)
でも楽しかったんだと思います。顔が得意げです。
そのほか、七五三で着物を着せてもらっていたり
母方の祖父母と母と私と弟が揃って食卓を囲んでいたり
(父がカメラマンだったよう)
祖父と父に挟まれて笑っていたり
私が大きなバースデーケーキを覗き込んでいたり。
そのケーキには、おたんじょうびおめでとう、と
チョコペンで書いてありました。
それらの写真を眺めていると、
私は、はたと
これは確かにたくさん愛されて、
大切に育ててもらった証拠写真だということに気づきました。
家族はみんな、私をこんなに愛してくれていた。
成長するにつれ、いろんな衝突があって
私は邪魔者なんだ、
お金ばかりかかる、めんどくさくて鬱陶しい存在なんだと思い込み
それが誤解だということを薄々気づきながらも意地を張っていた私は
そのことを正直に認めざるを得ませんでした。
その日の夜、母に
「今日の写真見て、可愛がって育ててもらってたのが
よーくわかりました。
ありがたや、ありがたや」
(本当は「ありがとう」と打ちたいところでしたが
照れくさくて、ちょっとごまかしました)
とラインしましたら
猫?か犬?かがポロポロと涙を流すスタンプと、
「そう言ってもらえると嬉しい」
と素直なコメントが返ってきました。
私はちょっと笑いました。
その翌日、早々と写真が送られてきました。
小さなメモが入っていて、そこには
「〇〇(私の名前)は初めての子、弟もやんちゃだったけれど
かけがえのない二人です。
愛情を持って育ててきたことは、まちがいありません。
育てる過程では、後悔が無いとは
消して言えませんが」
と書いてありました。
私は手紙をお財布にしまいました。お守りにしようと思って。
思いがけないきっかけで、自分が愛されていた証拠を見つけたこの出来事。
ものすごくトクした気分でホクホクしています。
やっぱり生きていると、こんないいこともあるんだなあ。
あるんですよ。みなさん。