PCの前でかれこれ1時間

ぼーっとしています。

 

昨日の夜中目が覚めた時には

3つくらい、書くネタを思いついたのですが

今はそれを書く気がしない。

 

 

こういう時、今までなら

予定していたネタを強引に書くところですが

最近そういうことを、極力しないようにしています。

 

そうすると、もっといい流れがやってくることがたまにあるんです。

例えば、旅行先を決める時にいくつか候補を挙げたものの

どれにも心動かされない時は、しばらく決めずにほったらかします。

すると、別の心おどるアイデアが出てきてすぐに決まり、

とても楽しい。

また例えば、友達と会う予定をしたものの、

詳細を詰める気になれない。

とても会いたい相手なのに、どうしたのかな?と思いつつ様子を見ていると

体調が下降気味で、お店の予約をする前に延期できたり。

 

これがカラダの声を聴く、というやつでしょうか。

よく聞くフレーズだし、聞こえもいいし、

そういう言葉を使うと自分がエエ感じに聞こえると思っていましたが

 

内心、それができているのか全くわかりませんでした。

 

調子がずっと悪かったということは、まあ

おおむね聴けてなかったんでしょうね。

 

 

カラダの声を聴くって

実際は、そんなに大きなことではなく

トイレに行きたいと思ったら、行ける状況ならすぐ行くとか

疲れてると思ったら、寝たり休んだりやることを減らすとか

予定通り進まなくても自分に大げさにダメ出ししないとか

その他いろいろあると思いますが

最近大事だなと実感できたのは、

 

 

気の進まないことは腹をくくって断る

 

 

です。

 

 

 

私は、人との約束は守らなきゃいかんと思ってきて

極力そうしてきました。

それが、人との信頼関係だと信じてきました。

だから、自分が辛かろうが苦しかろうが必死に約束を守るようにし、

 

同時に約束を軽く破る、忘れる人は信用できない、と激怒していました。

あの人は人として信用できない。

あの人は私を馬鹿にしているんだ。

 

そうやって長年怒り、恨んだ人もいました。

 

 

 

しかしパニックになって、約束はことごとく、あっさり破らざるをえなくなりました。

あんなにも嫌い、自分で自分に禁止していたドタキャンの嵐が吹き荒れ

私はすっかり自信をなくしてしまいました。

そのうち人と約束するのが怖くなり、約束しなくなりました。

そして、人とほとんど付き合わなくなりました。

 

友人が会いましょう、と誘ってくれても

パニックと説明するのがなんだか恥のように感じて、

ちょっと体調が悪いからと断ります。

何度か繰り返すと、そのうち

「じゃあ元気になったらまた、連絡してね」

と言われてやりとりは途絶えます。

 

 

「じゃあ元気になったらまた、連絡してね」

 

 

そう言われても、元気になる見通しなんて立たないの。

私がその友人に連絡することはありませんでした。

 

でも本当は、私が会いに出かけられなくなっても

待っててね、友達でいてね、

たまにメールをちょうだいね、

と言いたかったのでした。

 

 

でも、言えなかった。

私は、友達に憐れまれるのが絶対に嫌だったんです。

つまりこれまでそんなふうに、自分を作り上げてきたということ。

なるべく弱みを見せないように。

馬鹿にされないように。

欠点の無い、あっても皆の許容範囲で済むような、

ネタにして笑えるくらいの可愛げのある欠点しか見せてはダメ。

 

本当は、計算高くて、冷たいし、面倒見も良くないし

優しくなんてない。

でもそんな人としてどうよ?な短所は

他人にも、そして自分にも

存在を知られてはならないのでした。

 

 

そのためには、自分にたくさん禁止事項を課して

それが守れているかどうか、常に自分を監視する。

だからぼーっとなんてできない。

 

でも、思うのですが

ぼーっとする時間にこそ、自分が自分に語りかける声が聞こえるんじゃないの?

人に馬鹿にされたと思ってきたけれど

本当は自分で自分を一番、馬鹿にしてきたんじゃないの。

 

 

それでも、かすかな自分の感覚なんて、一番信用ならないものだと固く信じて、

学校の時間割のように、頭の中で効率的?なタイムテーブルを組み

無駄なくそれをこなすことで、自分の存在価値を測っていく。

 

その結果自分のことが全くわからなくなり

 

結局、パニックで全てを一旦ストップするハメになったのでした。

 

 

 

当然といえば、当然なのか。

 

 

 

 

 

私が決定的に具合を悪くしてから、結構長い年月が経ちました。

正直なところ「パニックのおかげで、今の私があります!」

と、目をキラキラさせて宣言するにはまだ時間がかかりますが

少しずつ、自分の周りの世界に色が付いてきたことは確かです。

 

約束を断ることもまだ勇気がいるけれど

腹をくくって断る、ができるようになると

周りの人たちも自分のことも、

温かい目で見られるようになった気がします。

 

ふふふ。