今から書くのは
4月20日に夫と
法隆寺様にお詣りした
記録の続きです。
念願叶って救世観音様に
お目にかかれた私は、
東院伽藍から
西院伽藍に戻りながら
じっくりと諸堂を
見学しました

西院伽藍の東には
大宝蔵院と百済観音堂があり、
数々の素晴らしい仏像を
拝観出来ました💓

うち、
百済観音像と地蔵菩薩像および
金堂の広目天と持国天は
超国宝展に
貸し出し中でしたので、
前日に奈良国立博物館で
拝観済でした。
舎利殿に置かれていた
2歳の聖徳太子像も、
2歳の時に太子様が
「南無仏」と唱えたところ
手の平からこぼれ落ちたという
舎利(水晶)も、
大宝物殿で拝観出来ました。


下の写真は舎利神輿で
聖徳太子のご命日に行う
聖霊会の中でも、
10年に一度の
大きな儀式の時のみ
使用されるそうです

(トーハク聖徳太子展より)


トーハクの聖徳太子展で
以前拝観した玉虫厨子や
橘夫人念持仏および厨子も、
拝観出来ました🎵


大宝物殿では
焼損を免れた飛天図のほか、
火事で焼失してしまった
金堂壁画の復元画も
観る事が出来ます。

ちなみに、
焼損した壁画の映像は
デジタルビューアで
公開されています




聖徳太子様と山背大兄王様
殖栗王・卒麻呂王・恵慈法師の像
(すべて国宝)を
私はトーハクの聖徳太子展で
拝観した事があります。
この日はご命日ではないので、
厨子は閉まっていました

あらためて聖徳太子展は
凄かったんだなぁ…、
拝観して本当に良かった…と
実感しました



大講堂に行きました。
前回一番感動した
金堂へ行きました💓





金堂の釈迦三尊像の光背に
刻まれているということは、
暗◯を命じた者を憚って
発病したと
書いてはいるものの、
622年に
むごい◯され方をした
聖徳太子様と奥様のことを、
何とかして伝えたいと
願った人達が
多かった証だと、
私は思います。
聖徳太子様の名声が
亡くなってさらに
高まっている事を
恐れた者によって、
ぐるぐる巻にされた救世観音様を
それでも守り続けた
気骨ある行信僧都様が
今も夢殿で救世観音様を
守って下さっている事に、
私はまたも心を打たれて
胸が熱くなりました

下は行信僧都様が
トーハクの聖徳太子展に
来て下さった時の、
画像です



