今から書くのは
4月20日に夫と
法隆寺様に参詣した
記録です🎵

グランヴィリオ奈良和蔵さんで
朝イチ5時に温泉に入り
朝イチ6時半に朝食をいただいた
私達は、
団体観光客が来る前に
法隆寺様にお詣りしてしまおうと
いうことで、
朝食後に
もう一度温泉に入った後
(空いてました♨️)
早めにチェックアウトして、
ホテルを出ました。
ところで、
4年前トーハクで
聖徳太子展を観に行って以来、
私は聖徳太子様を
深く敬愛しております

https://ameblo.jp/azuki2018/entry-12693731379.html
聖徳太子様をお慕いして
信貴山朝護孫子寺様にも
お詣りいたしました

全く別の目的で
大阪に旅行した時には、
なんと聖徳太子様の御廟が
ホテルの近くにある事が
わかりました

翌日行ってみたところ
なんとその日は
偶然月並法要の日で、
法要に参列させていただき
お焼香まで
させていただけました❗️

今回の旅行の
一番の目的は、
法隆寺様で救世観音様に
お会いすることでした💓

聖徳太子展で
救世観音様の映像を観て
大変に感動した事から
2年前のお正月に法隆寺様に
お詣りしたところ、
なんと、
救世観音様は春と秋しか
公開していない事が
わかりました❗️



事前に調べろよって
話なんですけどね

それ以来次こそは
救世観音様にお目にかかりたいと
ずっと願っていて、
このたびやっと念願が叶い
春の公開の時期に
法隆寺様に来る事が
出来ました❗️


歩かせないように、
山門に一番近い
一般のお宅の横にある
駐車場に停めました。
幸い朝早かったので
まだ空きがありました。
1日300円で
お安かったです🎵

前回お詣りした時に
法隆寺様について
詳しく書いておりますので、
よろしければ
下のブログもご参照下さい

https://ameblo.jp/azuki2018/entry-12786907609.html
https://ameblo.jp/azuki2018/entry-12787381698.html
法隆寺様は607年に
https://ameblo.jp/azuki2018/entry-12787381698.html
法隆寺様は607年に
聖徳太子様が
お父君の用明天皇の遺志を継ぎ
叔母である推古天皇とともに
建立されました。
一度焼失しましたが
670年に再建され、
世界最古の木造建築として
日本で最初に世界遺産に
登録されています。

法隆寺様にはそこかしこに
奈良時代の空気感が
今も色濃く残っています



朝早く
草むしりをして下さっている方々が
そちこちにいらっしゃり、
数しれぬ有り難い支えによって
法隆寺様が守られているのだと
頭が下がる思いでした🙏
「おはようございます」
「ご苦労様です」と
お声をお掛けしながら
横を通りました。




拝観入口は
西院伽藍にあります。
入場料が
前回の1500円から
2000円に
値上がりしていましたが、
このまたとない空間を
維持して下さる為なら
もうなんぼでも値上げして下さいと
心の底から思いました。

まずは夢殿で
夢殿観音様(救世観音様)に
お会いしたいと思い、
受付の西院伽藍を抜けると
すぐに東院伽藍へと
向かいました。
伽藍の南にある
西大門から東大門、
さらに東院伽藍のある
四脚門へと続く
東西に伸びたまっすぐな道と、
南大門から北に向かって
西院伽藍へと続く
まっすぐな参道は、
拝観者でなくても
誰でも通れるのです。
ジョギングや散歩をしながら
門ごしに見える伽藍に向かって
一礼する人々を見ながら、
このあたりに住む人が
本当に羨ましいなぁ…と
思いました


伽藍も道も
すべて聖徳太子様が歩き
額づいた、
同じ場所です。
私は聖徳太子様に
心の中で話しかけながら、
聖徳太子様の思いを
感じ取りたいと願いながら、
夢殿に向かいました。
境内はとても広く、
ゆったりと歩くのに
大変気持ち良い、
素晴らしい所です

夫も私も
奈良の空気感が大好きで、
いつも2人で
「奈良で暮らしたいなぁ…」
「本当にいいところよね…」と
話すのですが、
残念ながら夫が
奈良に転勤する可能性は
ないようです。
夫の両親は
転勤先が気に入って
定年後の住まいを
ふるさとではなく、
それまで全く縁がなかった
東北に定めました。
その選択は
私達がなかなか帰省出来ない
=両親になかなか会えないという
結果を招きました。
その体験を踏まえて
私達は定年後も
息子達の住まいから
離れて暮らさないようにしようと
夫婦で話し合っていて、
どんなに伊豆や諏訪や
奈良が大好きでも
移住は検討せず、
旅行にとどめております。

西大門〜東大門〜四脚門へ
伽藍の諸堂に次々と
拝礼しながら歩ける
この道筋が、
私は横道の小道も含め
ほんとに大好きです💓

ブログの写真から
どうか私と一緒に
この道の素敵さを
お楽しみ下さい🎵







国宝の東大門を
潜ります。
このあたりから
他の人もちらほら
見かけるようになりました。


この脇道も
大好きです❗️🎵

溝に小川が流れていて
昔はここでものを濯いだり
したのだろうなぁ…と
思いました。





この脇道も
大好きです🎵

本当に、
奈良で暮らしたいなぁ…と
いつも思います。

四脚門に着きました❗️


鳳凰さんの
手水です。

夢殿の中は
撮影禁止なので
リンクより写真を貼ります。
http://inori.nara-kankou.or.jp/inori/hihou/horyuji/event/xwq22kly96/


https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20241022/2050017087.html#:~:text=%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%95%91%E4%B8%96%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%83%8F,%E3%81%A8%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
聖徳太子様に似せて作ったという
実際にお目にかかった
救世観音様は
本当に素晴らしかったです❗️



聖徳太子様に似せて作ったという
178センチの高身長の像は
痩せ型で
すらりとしていました。
私は旅行していて
奈良はすらりとした
背の高い方が多いなぁと
かねがね思っていて、
同じだわ…と
嬉しかったです



200年間誰も見た方は
いらっしゃらなかったという
救世観音様は、
まるで生きていらっしゃるように
生命力が
みなぎっていました。
聖徳太子様は奥様ともども
暗◯されて屋敷を燃やされたと
言われています。
そのご子息の山背大兄王も
同じく一族がみな暗◯され
屋敷を燃やされたと
言われています。
聖徳太子様と一族は
根絶やしにされてしまうほど、
政敵が脅威を感じるほどの
大きな影響力を持った
素晴らしい存在
だったわけで、
聖徳太子様に生き写しと言われる
救世観音様の祟りが恐ろしくて
封印しろと命じたのは、
暗◯したその張本人
だったのでしょうね。
前回法隆寺様にお詣りした時も
感じたように、
日本も世界も越えて
国や宗教の違いも越えて
融和して繋がろうとする
聖徳太子様からは、
恨みや憎しみの念は
やはり微塵も
感じられませんでした。
私は救世観音様に
「あなたが身罷られてから
1400年もたつというのに、
世界は今も綿のように乱れ、
戦争や諍いが
草のように蔓延っております。
私達も平和に向けて
出来る限り
務めてまいりますので、
どうかあなたの目指した
真に平和な世界が
この世に実現出来ますように、
どうかそのお力を
お貸し下さい。
そしてこの日本を
どうかお守り下さい。」と
お祈りしました。
夢殿の中には
夢殿を創建なさった
行信僧都様の像と、
少年のお姿の聖徳太子様の像も
ありました。
私は行信僧都様にも
「どうか法隆寺と
この夢殿の救世観音様を
お守り下さい」と
お祈りしました。
奈良は、
法隆寺は、
かつてここで起こった
凄惨な出来事は
まるでなかったかのように、
いつものようにただただ
のどかでした。
夢殿のてっぺんには
イソヒヨドリのような
青い色の
珍しい鳥がいて、
とても良い声で
鳴いていました。





長年の念願が叶い
とうとう救世観音様に
お目にかかれた事に、
感謝いたします。