あれから20年、、
20年前、私は大阪市城東区に住んでいました。
縦長の賃貸マンション、1階は、駐車場になってました。
あの日のことは、鮮明に覚えています。
15日から16日にかけて、甥っこと姪っ子がお泊まりに来ていて、シチューを作りました。
いつもよりは?部屋も綺麗にしてたと思います。
それでも物は多く、その日は、いつもの部屋じゃないとこで、頭の後ろは大型テレビを置いた棚が

17日は、甥っこらも帰り、いつもの部屋で寝てました。
今から考えたら、危険なとこで寝てたもんです。
タンス部屋



めちゃくちゃ揺れまくって、私は10階から、滑り台みたいに落ちていくのかなと思いました。
物が、ぐちゃぐちゃ、昨日寝ていた部屋のテレビが、下に落ちてました、、、、、
大きな食器棚も、倒れて、、、マグカップ以外は、ほぼ全滅でした。
美味しかったシチューの残りも、もちろん落ちました。
主人の目の前にあったタンス。天井の出っ張りにうまいことひっかかってて、、、あれなかったら、倒れてます。
物凄い状態だったので、、こんなだと、実家はえらいことになってるかと、、、確か電話したっけな、、奈良の私の実家。そん時は、すぐに繋がりました、、確か、宇治のお姉ちゃんとこにも電話したっけな、、
大阪に住んでいた主人の実家(今は香川です)にも、心配で、すっ飛んで行きました。
あんなに部屋はぐちゃぐちゃだったのに、街は、異様に静かでした、、、、、
幸い、大阪の実家は、さほど落ちた物もなく、なんで、うちの部屋はあんななのにって、、、、、
だんだん、地震の凄まじさがわかってきて、、
確か、1カ月ほどは、大阪の実家で泊まらせていただいてました。
今は、なんにも置いてない部屋で寝ています。
息子が生まれてなくてよかったなとも思います。布団の上に、電気の傘の破片とか、いろいろ、落ちておりました。ちっちゃな棚も倒れたし、、
あの頃は、そう言えば、携帯もなかったっけな、、、随分便利になったけど、災害は増えている。
備えは、普段から、、ですね。