時代の波に翻弄され続けた清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀。
その激動の生涯を自伝に基づいて描いた巨匠ベルナルド・ベルトルッチ畢生の大作。
STORY
1950年、共産主義国家として誕生した中華人民共和国の都市・ハルピン。
中国人戦犯でごった返す駅の中で、手首の血管を切り、自殺を試みようとする男の姿があった。
彼こそは清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)。
薄れゆく意識の中で、溥儀の脳裡にさまざまな過去が蘇えるー
1908年、北京。
清の皇族に生まれた溥儀は、西太后の任命によってわずか3歳で清朝皇帝の地位についた。
近代化の嵐にもまれ、孤独な日々を送らざるを得なかった溥儀は、即位してから文化大革命以降に至るまで、激動の生涯を歩んでいく。
■第60回アカデミー賞 作品賞・監督賞・脚色賞・撮影賞・作曲賞・美術賞・衣装デザイン賞・音響賞・編集賞受賞
感想です
凄く面白かったです(,,>艸<,,)
そしてスケールの大きさに圧倒されました。
もっと早く観れば良かったなって後悔した。
おばあちゃんが映画観に来るよ~って言ってた気持ちわかりました。
激動の…ってよく使われるけど、マジで激動も激動だなって思いました。
溥儀が歩んだ道のりはまるでジェットコースターのようでした。
紫禁城での生活は、外へ出ることを禁じられ、心の支えは乳母だけ。
乳母以上に初恋の人でもあった彼女もやがて居なくなり、本当の孤独になった溥儀。
その頃、家庭教師としてやって来たレジナルド・ジョンストンから数学やテニスなどの西洋の文化を学びます。
彼だけが溥儀の唯一の友人でした。
やがて15歳になった溥儀は17歳の婉容を皇后に、12歳の文繍を第二の妃に迎えます。
そして1924年、中華民国の軍人である馮玉祥のクーデターで溥儀ら一族は紫禁城からの1時間以内の退去を命じられます。
ジョンストンはイギリス大使館へ連絡して庇護を求めますが、国際問題になることを恐れ受け入れず、結局溥儀に手を差し伸べたのは、同世代の天皇もおり親近感もあった大日本帝国のみだった。
っていう感じでお話は進んでいきます。
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溥儀による自伝『わが半生』も、劇中で収容所の所長が読んでいたレジナルド・ジョンストンの著書『紫禁城の黄昏』も読んだことありませんが、このレビューを書くにあたり溥儀の事を少し調べましたら、史実を敢えて変えてあったり省略している部分がある事を知りました。
1967年10月17日、溥儀は腎臓がんによる尿毒症で死去。
享年61。最後は一市民として、その数奇な人生に幕を下ろしました。
この時、中国は文化大革命の真っ只中だったそうです。
病身の晩年に食べたいものを尋ねられると、溥儀は「日本のチキンラーメン」と答えたとか。
朝日新聞(2005年05月27日夕刊)は「素朴な味を好み、日本から送らせていたそうだ」と伝えています。
「チキンラーメン」を開発した日清食品の創始者、故・安藤百福(ももふく)氏は2000年7月、北京の故宮(旧紫禁城)を訪ねた際に「チキンラーメン」を玉座の前に供えたのだそうです。
” 歴史劇としての壮大なスケール、人間ドラマとしての複雑で細やかな機微、ヴィットリオ・ストラーロによる構図美・色彩美、日本人初のアカデミー賞作曲賞に輝いた坂本龍一の劇伴音楽。
すべてが噛み合い絡み合った、これぞ映画、これぞ傑作 ”
と称えられている通りの作品だなって思いました。
これぞ映画👀🍿*゜
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