人は、
誰かから
何かを言われても
自分で確かめながらしか
進めない
と思う。
転ばぬ先の杖
などなくて、
転んで
見える景色が変わって
気づくこと
得るもの
が
あったりする。
『しゃがみこんでこそ届く夢…』
そんなフレーズの歌が
CMから聞こえてきて、
なんだか
耳に残っている
そして、
こんなことを思った。
高いところにある果実に
背伸びして
手を伸ばして
届きそうで届かない…
ふと足元を見ると
程よく熟した果実が
食べ頃で
ころんと落ちていたりして…
それは、
どちらも同じ果実なのだけど、
届かないっ❗️と
空を手で切ってもがくだけでなく
ふっと
力を抜いて
今の自分の足元を見てみれば
得るものもある
とゆーことだ。
さらには、
それが、
熟し過ぎたものだったのなら、
今度は、
手の届かない果実の
落ちる瞬間を待ってみる
とゆー
方向転換的思考まで
手に入るわけで
結局は、
自分の思いのまま進んでいい
ってことだと思う。
その中で
時折
転んで知る
痛み
そこから、
見える景色の
深み
そして、
視点を変えてみる
試み
※韻踏んじゃった※
それらを
繰り返しながら
自分の道は作られる。
それが
自分の想いに添っているなら
それを
自分らしさ
と、
私は
呼ぼうかな
(うん、勝手にしろ(笑))