ある日の昼下がり、軍議の後------

夏の陽が差し込む安土城の廊下を歩きながら、隣をちらりと窺い見る。

光秀「・・・・・・」

(う・・・・・・広間を出た後から、とてつもない圧を感じる。これってやっぱり・・・・・・)

「あの、光秀さん。・・・・・・怒ってますか?」

恐る恐る尋ねると、こちらを向いた目が細められた。

光秀「ほう。お前の目は節穴ではないようだ」

「それは・・・・・・いつも光秀さんの一番近くにいますから」

光秀「可愛いことを言うじゃないか。いい子は褒めてやらねばな」

(恋人同士になり前だったら、光秀さんが怒ってることにも気づけなかったかも・・・・・・って、ほっこりしてる場合じゃない!)
行く手を遮るように光秀さんの前に回り込んで、歩みを止めさせる。

・・・・・・私が戦に行くの、反対なんですね」

光秀「当然だ」

笑みを消して言い切る光秀さん、先ほどの軍議の様子を思い出す。

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光秀「織田軍と敵対する武将が挙兵しました。敵は浅井、朝倉の残党と繋がりがある様子です」

光秀さんの報告に、信長様はどこか愉しげな笑みを浮かべた。

信長「ほう、浅井に朝倉が性懲りもなく向かってきたか。ならば俺が自ら迎え撃ってやろう」

「あざい? あさくら?」

(聞いたことがあるような・・・・・・あ!イケメン武将トラベルガイドに載ってた名前だ。最近、懐かしくて読み返してたのが役に立ってよかった)

秀吉「信長様、もちろん俺も一緒に参ります」

意気込んだ様子でそう言った秀吉さんが、ふっと視線を落とす。

秀吉「それにしても・・・・・・あの戦の後、しっかりけじめをつけたと思ったんだが、・・・・・・まだ残党がいたなんてな」

(『あの戦』ってなんだろう?)
トラベルガイドに書いてあった内容を思い出そうとしていると------

信長「ゆう。此度(こたび)の戦、貴様も共に来い」

「っ、私もですか?」

まさか自分も呼ばれるとは思わず、緊張が一気に大きく膨れあがる。

信長「貴様は幸運を呼ぶ女だ。因縁の戦に貢献せよ」

(因縁・・・・・・織田軍にとって重要な戦ってことだよね。信長様自ら出陣もするし。それなら------・・・)
返事をしようとしたところで、それより前に光秀さんが口を挟む。

光秀「御館様。恐れながら、ゆうがいようといまいと、大した差はありません。相手は頭をもがれた鳥合の衆。運を味方につけずとも、勝利は確実かと」

(光秀さんは、きっと私を心配してこう言ってくれてるんだよね。気持ちはすごく嬉しけど・・・・・・)

「いえ、行かせてください!」

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光秀さんは厳しい瞳で私を見おろし、再び口を開く。

光秀「ゆう、安土で大人しくしていろ」

・・・・・・嫌です」

私も負けじと、光秀さんをまっすぐ見据えて告げた。

光秀「なに?」

「私は、光秀さんたくさんのものをもらいました」

(乱世で生きていく知識も、勇気も)

「もらったものを活かしたいんです。だからお願いします」

(光秀さんが無茶しないように、そばで支えたい)
以前よりも自分を大切にしてくれるようになったけど、それでも心配だった。

光秀「・・・・・・」

黙っている光秀さんを、強い意志で見つめ続ける。引かない私に、そのうち光秀さんはふっと表情を緩めた。

光秀「負けだ、馬鹿娘め。そのかわり、お前こそ無茶はするんじゃない。いいな」

「はい・・・・・・!」

(よかった、光秀さんと一緒に行ける。だけど、『お前こそ』ってことは、私の考えなんてやっぱりお見通しなんだな。あ、そうだ)
ふと、仲直りしたら聞こうとしていたことを思い出す。

「ところで、さっき秀吉さんが言ってた『あの戦』って何ですか?」

光秀「勉強熱心なことだ。前置きだけで音を上げていた小娘とは別人だな。お前は本当にゆうなのか?」

「もう、なに言ってるんですか。本物ですよ」

光秀「いや狐が上手く化けているのかもしれない」

一歩前へと距離を詰められ、整った顔が間近に迫った。

光秀「じっくりと、確かめなくてはな」

「えっ」

光秀「・・・・・・」

長いまつげに縁取られた綺麗な目に、舐めるようにじっと見つめられて鼓動が速まる。
(た、確かめるって、廊下で何するつもり・・・・・・!?)

恥ずかしさに耐えられず、思わず目をつむった瞬間------

「!」

鼻の頭へ、よく知った柔らかい唇の感触が落ちた。

「光秀さん!?」

目を開けた私に、光秀さんは愉快そうに喉を鳴らす。

光秀「その反応は本物らしい」

「だ、だからそう言ってるじゃないですか!」

(すぐからかうんだから・・・・・・でも嫌じゃないどころか、こういうのも幸せだって思うんだよね)
表情はむくれて見せるけれど、心はきゅんと高鳴っている。

光秀「本物だとわかったことだ。以前のように講義をしてやろう。恋仲といえど手加減はしないぞ?」

「はい、よろしくお願いします!」

優しい眼差しに変わった光秀さんと一緒に、私は廊下を進んでいった。

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光秀さんの御殿に戻ると、さっそく講義が始まった。

光秀「さて。秀吉の言う『あの戦』についてだが最初に言っておくと、あれは負け戦だった」

「えっ! 信長様が・・・・・・」

光秀「この乱世で、謀反はそう珍しくもないことだ」

(謀反ってことはつまり・・・・・・)

「もしかして、浅井さんか朝倉さんが織田軍を裏切ったせいなんですか?」

光秀「頭が回るようになったな。あの時は越前の朝倉義景(あさくらよしかげ)との戦で、俺と秀吉も信長様と共に出陣していた。だが・・・・・・朝倉の居城である金ヶ崎城(かながさきじょう)を攻め落とした直後、同盟関係にあったあざいながまさ)が裏切り、敵に回ったのだ。浅井がこちらを攻めれば挟撃(きょうげき)にあう可能性があった

・・・・・・だから、撤退を」

光秀「ああ。俺と秀吉は殿(しんがり)を任され、信長様の退路を開いた」

「そうなんですね・・・・・・」

(さっき信長様が『因縁の戦』と言っていた意味がよくわかった。それに、殿っていえば・・・・・・)
タイムスリップしたばかりの頃、初めて連れて行かれた戦場で、光秀さんから殿の重要性を教えてもらったことを思い出す。

(光秀さんは朝倉さんとの戦で、殿が大事だって感じたのかな)

「でも、どうして浅井さんは信長様を裏切ったんでしょう?」

光秀「義を重んじたらしい。こちらとて、信長様の妹君が嫁入りをしたというのにな」

「お市さんでしたっけ」

記憶にある名前を告げると、光秀さんは意外そうに片眉を上げた。

光秀「引き合わせた覚えはないが、最近よく読んでいる珍妙な書物の知識か?」

「はい、そうです」

(そういえば、お市さんって有名な話があったような・・・・・・)
トラベルガイドの記述を手繰り寄せ・・・・・・やがて光秀さんから受けた説明と繋がった。

「あっ! 小豆の袋!」