(うん・・・これで良し、と)

私はお遣いを終えて、夕暮れの城下町を歩いていた。
(ちょっと遅くなっちゃったけど、頼まれた文は全部届けられたな)

家路を急ぐ人、持ち込んだ商品を売り切ってしまおうと声をあげる商人・・・夕暮れ時特有の喧騒の中、城への道を一人でたどる。

その時------

???「ゆう?」

「え・・・?」

不意に呼びかけられて振り向いた先では、信玄様がこちらに向かって手を上げていた。

「信玄様・・・・・・⁉︎」

信玄「偶然だなー」

「そ、そうですね・・・」

信玄様は、この安土に居を構える信長様とは、敵対している武将だ。普段は謙信様の春日山城に身を寄せている彼は、世間的には亡くなったことになっている。城下で知り合った幸村を通じ、これまでも何度かお会いしたことがある。
(その信玄様が、どうして一人でこんなところに・・・・・・?)

考え込む私に、信玄様がにこにこ微笑みながら歩み寄った。

信玄「どうした? そんなに見つめて」

「いえ、別に・・・」

(大人で、素敵な人ではあるんだよね。でも、ちょっと・・・・・・)

信玄「君とこんなところで逢えるなんて、光栄だな」

信玄様の切れ長の瞳が、色気を帯びて細められる。
(っ・・・・・・やっぱり、いつものが始まっちゃった)

幸村いわく、信玄様は『息を吸うように女性を口説く女たらし』だ。

優しげなのにどこか危険な眼差しに、いつもどぎまぎしてしまう。

「ええっと、そう言っていただけて恐縮です」

信玄「君が恐縮する必要なんてこれっぽっちもないだろ?ちょうど、ゆうに会いたいと思ってたんだ」

(え・・・・・・?)

信玄「これはもう、偶然と言うより、運命だな」

「お、大げさですよ・・・」

信玄様は会うといつもこうして、まるで挨拶のように甘い言葉を囁く。
(ふざけてるんだとわかってるけど、どうしてもドキドキしちゃうよ・・・!)

困惑して後ずさりする私の髪を、信玄様が一束そっと掴む。

「っ・・・!」

思わず顔を上げると、すぐそばに色気たっぷりに微笑む信玄様の顔があった。

信玄「せっかくこうして逢えたんだ。もう少し君の可愛い声を聞いていたい」

信玄様の唇が、私の髪に触れそうになった時------

???「信玄様、こんばんは」

飛び込んできた声に、はっとして私は信玄様から離れた。信玄様も私の髪から手を離して振り返る。

信玄「ん? 君は・・・」

そこにいたのは、美しい女性だった。着物の襟元を大胆に開いた色っぽい姿だけれど、どこか品のある彼女は、私を見て口元に袖をあてる。

???「あら? お邪魔をしてしまったかしら・・・」

信玄「お蜜(みつ)・・・・・・?」

お蜜「信玄様にお会いしたいと思って探していましたの。今夜、お時間をいただけませんか?」

お蜜どこか呼ばれた女性は、親しげに信玄様に話しかけ、にっこりと笑った。

信玄「ああ、もちろん構わない。女の頼み事は、何が何でも断るなってのが、先祖代々からの家訓なんだ」

(戦国武将の家に、そんな家訓あるはずないよね・・・・・・?)
信玄様の適当な言い草に、私はこっそり吹き出した。

ぷっ、ゆうも吹き出したよ〜。私。。。どんな家訓なんだ〜〜❗️ 先祖代々女好きなのー?

信玄「そうだ。紹介しよう」

信玄様が私の背中に手をあてて、そっと前に押し出す。

信玄「ゆう、彼女はお蜜。そしてこちらはゆうだ」

お蜜「まあ、可愛らしいお嬢さん。よろしくね」

「よろしくお願いします」

私は、お蜜さんに向かってぺこりと頭を下げた。

(信玄様、幸村たち以外にもこの町に知り合いがいたんだ)
顔を上げると、お蜜さんは、私に向かってにこりと笑いかけてくれる。それは、女の私でも思わずドキッとする美しさだ。

(本当に、綺麗な人だな。信玄様、もしかして安土でナンパした、とか・・・・・・⁉︎)
考え込む私の横で、ふたりは親しげに話し始める。

お蜜「ここでお会いできて幸運でしたわ」

信玄「急ぎの用事か?」

お蜜「・・・・・・ええ、少し」

(恋人って感じじゃないけど、すごく親密そうな雰囲気だな)

お蜜「それにしても、逢い引きのお邪魔をしてしまったようですわね。申し訳ありません」

信玄「まったくなー」

「っ・・・・・・逢い引きってわけじゃありません。信玄様も、冗談ばっかり言わないでください」

信玄「俺は、本気なんだがな」

困り顔をしてみせる信玄様の隣で、お蜜さんがコロコロと笑う。夕陽を浴びて並ぶふたりを見て、不意に胸が痛んだ。

(お蜜さんと信玄様が並んでると、すごく絵になるな・・・・・・)

信玄「この通り、口説いてはいるんだが、なかなかなびいてくれないんだ」

お蜜「それはそれは・・・・・・」

(本当に仲良さそう。信玄様は、この人のことも、私にするみたいに口説いたのかもしれないな・・・)
得体のしれないもやもやが胸に広がった。

(ちょっと甘いこと言われてドキッとしたのが、バカみたい・・・)

「あの、私・・・そろそろ失礼します」

お蜜「あら」

私は俯いたまま頭を下げて、二人に背を向けた。

「では・・・」

けれど、足早にその場を立ち去ろうとした私の手首が、そっと掴まれる。

信玄「ゆう」

「え・・・?」

掴まれた手首をそっと引き寄せられて、どくっと胸が鳴る。

信玄「そろそろ陽が沈む。俺に送らせてくれ」

「でも・・・」

信玄「夜道のひとり歩きは危ない。特に君みたいな美しい姫君はな」

(また、そういうこと・・・・・・っ)
いつもの戯れだとわかっているのに、なぜか断る言葉が出てこない。

信玄「振りほどかれないってことは、俺に送らせてくれるってことでいいな?頷いてくれないなら、離さない」

強引な言葉とは裏腹に、信玄様の声は穏やかだ。見つめる瞳は優しげで、身体の強ばりが解けていく。

(本当に心配してくれてるみたいだな・・・・・・)

「それじゃ・・・・・・お手数ですが、お願いします」

信玄「よし、行こうか」

「はい・・・・・・」

こうして私は、お蜜さんと別れ、信玄様と並んで安土城までの道をたどることになった。

「さっきの人は、良かったんですか・・・?」

信玄「後で落ち合うから大丈夫だ」

「そうですか・・・」

(今は、こうして私を送ってくれてるけど、この後、お蜜さんとデート、するのかな・・・?)

「・・・・・・綺麗な人でしたね、お蜜さん。恋人・・・なんですか?」

信玄「いや」

「・・・そうなんですか?」

信玄「だが、大事な女のひとりだよ」

「大事、な・・・・・・」

そっと見上げた信玄様は、どこか優しい目をしていて、胸がちくりと痛む。
(信玄様って、お蜜さんのことが好きなのかな・・・?)

考え込みながら、私は黙々と足を前に運んだ。

------

城門が見えた辺りで、私は足を止めた。

「この辺りまでで大丈夫です」  

(信玄様は敵側の武将だし、これ以上お城に近づいたら危険だよね)

信玄「そうか。君と過ごしてるとあっという間に時が経つな。この先も気をつけて帰れよ」

「はい。ありがとうございました」

頭を下げた私の肩に、信玄様がそっと手をのせた。

信玄「ゆう、次はいつ逢える?」

「え・・・?」

信玄「君は安土の姫君だからな。次の逢瀬(おうせ)がいつになるかわからない。今も別れがたいが、次の約束をくれるなら、それを糧に耐えられるよ」

「っ・・・冗談で口説くの、本当によくないです! お蜜さんが知ったらどう思うか・・・」

信玄「お蜜?」

信玄様はきょとんとした後、ふっと笑った。

信玄「言っただろ? 彼女とはそういう仲じゃない」

「でも、大事な人なんでしょう・・・?男性は真面目な方がもてますよっ?」

信玄「うん。俺も君の意見に賛成だ」

信玄様は、真剣な顔になって大きく頷く。

信玄「だから、こうして真面目に君を口説いてる」

「え・・・?」

信玄「ゆう」

笑みを消した信玄様が、低く真剣な声で私の名前を呼んだ。まっすぐ見つめられて、鼓動が一気に速くなってしまう。
(何、急に・・・。なんかすごくドキドキして・・・・・・)

けれど、慌ててその気持ちを打ち消す。
(っ・・・・・・本気にしちゃだめだ。いつもの口説き文句だよね)

「帰ります・・・っ!送ってくれてありがとうございました!」

私は勢いよく城門へと駆け込んだ。すごく熱い気がする頬を押さえて、そっと振り返ると------

信玄「またなー」

ひらひらと手を振る信玄様は、もういつもの笑顔だ。
(やっぱり、冗談だったんだ・・・・・・)

苦笑を返しながら、安堵と、少し残念な気持ちが、私の胸の中で入り混じった。

------

(なんか、落ち着かないな・・・)
翌日になっても、信玄様のことを考えるともやもやした気持ちはおさまらなかった。

(信玄様って、本気に女たらしなんだな。歴史の授業では、そんなことを習わなかったよ)
そんなことを考えながら、荷物の中からイケメン武将トラベルガイドを取り出す。

「武田信玄のページは・・・・・・、あった」

ざっと目を通しただけでも、そこにはかっこいいエピソードが満載だった。
(激しい戦いぶりで戦に勝ったとか、そんな話ばっかりだな。私の知ってる人と違う・・・・・・)

釈然としない気持ちで読み進めていくと、とある単語が目に入ってきた。

「三ツ者(みつもの)・・・・・・? 聞いたことない単語だな」

三ツ者とは、武田信玄が従えていた隠密集団らしい。
(忍者集団、なんて本気にあるのかな?)

その時、廊下に誰かの足音がした。

???「ゆう。今、いい?」

(この声、家康?)

「大丈夫だよ。どうぞ」
 
襖越しに聞こえた声に答えると、家康が部屋へと入ってきた。

家康「あんたに、ちょっとお願いがあって」