赤ちゃん連れフォトグラファーのAzusaです。 

ご覧いただきありがとうございます。 

 

 

投稿四百二十五回目は 

「「子育てって難しい!」とつくづく感じた、

長女の親友との初めてのケンカ!」 

について書きたいと思います。 

 

 

 

(初めてお越しの方は 

こちらの自己紹介をご覧いただけたら 

嬉しいです。)

 
 
 
 
 
 
最近
 
 
「子育てって難しいな」
とつくづく感じます。
 
 
 
 
 

もちろんこれまでも
 
 
「やはり子育は大変!」
 
だったのですが
 
 
 
 

しかし
それはどちらかというと
 
 

「自分の忍耐が試される」
といったような
意味合いが大きく
 
 
 
 
自分次第で
良くも悪くも出来る
ものが多かったように思うし
 
 
 
 
 
 
3人を育てていくうちに
段々と子育てが
楽に感じられるようになっていったのは
 
 
 

やはり
 
これまでの私にとっての
「子育ての大変さ」が
 
 
そうした側面が大きいものだった故
かと思います。

 
 
 
 
 
 
 
しかし
 
 
私がここ最近
「難しいな」と思うのは
 
 
長女の人間関係について。
 

 
 
 
 
 
「自分がどう思うか」
は自分の心で決められるけれども
 
 
 
「他人がどう思うか」は
自分にはコントロール出来ない
こと。

 
 
 
 
だからこそ
人間関係は
 
 
非常に難しい問題にも
なり得ます。
 
 
 
 
 
 

それを痛感する出来事が
つい2週間ほど前にありました。

 
 
 
 
 
 
それは長女のクラスで
クリスマスパーティーがあった時のこと。
 
 
 
 
各自持ち寄り形式で
 
思い思いに
食べ物を持っていくことになっていた
そのパーティに
 
 
 
長女は
 
手作りのクッキーを
持っていくことにした
ようで
 
 
 
 
 
パーティ前日に
 
 
「クッキーづくりを手伝ってほしい」
 
と言われます。
 
 
 
 
 
 
しかし
 
昨日の投稿でも触れていますが
 
 
 
 
大抵のことは
何でも自己流にしてしまう私。
 
 
 
 
 
 
それは
 
お菓子作りにおいても例外ではなく
 
 
 
 
 
巷の噂には
 
 
「お菓子作りは
材料も手順もきっちりその通りにしないと
上手くいかない」

 
と言われているのも承知で
 
 
 

クッキーでもケーキでも

いつも自分のやり方で
作ってしまっているのです。
 
 
 
 
 

何故
敢えてそんなことをしているか
というと
 
 
 
 
それは
 
 
使いたい材料が限られているから。
 
 
 
 
 
 
小麦粉は全粒粉
 
 
砂糖は
精製されていないブラウンシュガーや
てんさい糖やココナッツシュガー
 
 
を使いたいけれども
 
 
 
逆に
 
ベーキングパウダーや
クリームオブターター等は
使いたくない
 
 
といった具合です。
 
 
 
 
 
当然ながら
 
 
あまり上手く膨らまなかったり
 
 
市販のものに比べたら
味も素朴だったりするのですが
 
 
 
 
 
それでも
 
 
 
自分にとっては
 
そちらの味の方が
食べていて心地良いと感じるし
 
 
 
 
それは長女や次女にとっても
同じようで
 
 
 
「いつものを作って!」
 
と言われるので
 
 
 
 
 
そのままそれが
 
我が家のおやつの味として
定着してしまっています。
 
 
 
 
 
※ただし食いしん坊な三女は
食べられさえすれば何でも良いよう
 
 
 
 
 
 

そんな
 
固くてぼそぼその我が家のクッキーを
学校に持っていくと聞いて
 
 
 
内心「大丈夫かな...」と思ったものの

 
 
 
 
 
「長女がそう言うのであれば」
 
 
いつも通りに
クッキーづくりを開始。
 
 
 
 
 
 
ただし今回は
チョコチップを加えることにしました。
 
 
 
 
 
 
材料の分量をスプーンで測り
 
それらを全て混ぜ合わせ
 
伸ばして型抜きをして
 
 
 
いよいよオーブンへ。
 
 
 
 
次第に良い香りがしてきます。
 
 
 
 
 
まだ新しいオーブンの火加減に
慣れていないせいで
 
少々焼き過ぎてしまったのですが
 
 
 
 

固めのクッキーが好みの私には
 
 
香ばしさも相まって
上出来ともいえる仕上がりで
 
 
 
 
 
一方の長女も
 
 
試食しながら満足気な様子で
 
 
 
ひとまず一安心です。
 
 
 
 
 
 
 
翌朝
 
 
それらのクッキーを
嬉々としてタッパーに詰め
出掛けていった
長女。
 
 
 
 
 
 

ところが
その日の午後
 
 
学校にお迎えに行ってみると
 
 
 
 
朝に見た表情とは
真逆の顔をした
長女がいたのです。

 
 
 
 
 
そして
 
 
いつも一緒に帰っている
親友のクラスメイトと
 
 
 
「今日は一緒に帰らない」
 
と言い出します。
 
 
 
 
 
 
どうしたのかと訳を聞いてみると
 
 
「クッキーが
美味しくないと言われた
 
と言うのです。
 
 
 
 
「折角ママが
一生懸命作ってくれたものを
 
そんなふうに言われて
悲しかったと。
 
 
 
 
 
 
私はそれを聞いて
 
 

長女の優しさに
胸が熱くなった
のと同時に
 
 
どうにも居たたまれない気持ち
なってしまいました。

 
 
 
 
 
「私が「普通」のクッキーを
作らなかったがばかりに
 
娘がこんな思いをしている」

 
 
申し訳なく思ってしまったのです。
 
 
 
 
 
 
 
しかし直ぐに
 
それは違うような気もしてきました
 

 
 
 
 
 
少なくとも長女と私は
 
 
それを美味しいと思って
持っていった訳で
 
全く悪気は無く
 
 
 
 
それをどう感じるかは
人それぞれ
であり
 
 
 
 
 
例え
 
どんなに世間一般に美味しい
と言われるクッキーであったとしても

 
 
万人がそれを
「美味しい」と思う訳ではないのです。

 
 
 
 
 
 
つまり
 
 
「普通」というのは
 
 
あくまでも私にとっての「普通」
でしか無く
 
 
 
 
その基準は千差万別であり
 
 
 
そこにこだわるのは
全く無意味
だと気付いたのです。
 
 
 
 
 
 
 
しかしかといって
 
 
 
「美味しくない」と思ったものを

素直に口に出したからと言って
 

それも悪気があったとは
一概には言えない
とも思ったのです。
 
 
 
 
 
 
 

ただでさえ子どもは素直なもの。
 
 
 
 
 
日本人的な価値観で考えてしまうと
 
 
 
 
いくら不味くても
 
それによって人を傷付けてしまう
可能性があることを
 
 
わざわざはっきりとは
言わない
ことの方が多いし
 
 
 
 
 
無意識的にか意識的にか
 
 
相手にも
それを期待してしまいがちですが
 
 
 

 
人を傷付ける意図無く
 
自分の思いを
素直に口にすることに対し
 
 
 
 
私たちには
 
それを止める権利はありません
 
 
 
 
 
 
それこそ
 
 
はっきり言う、言わないの
「普通」の基準は

 
文化や人によっても全く異なります
 
 
 
 
 
 

確かに娘は
 
それによって傷付いたかもしれない。
 
 
 

それは
 
 
そうした言葉の裏に
 
 
「相手に対する配慮が欠けている」
 
と感じたからこそ。
 
 
 
 
そしてそれに対して
 
謝って欲しいと思った長女。

 
 
 
 
 
 
しかし相手は悪気なく
 
 
ただ思ったことを口にしていただけ
だとしたら。
 
 
 
 
 
長女が傷付いているとも
 
ましてやそれに対して
謝って欲しいと思っているとも
 
 
夢にも思っていないかもしれない。
 
 
 
 
 
そうした行き違いは
往々にして起こり得る
のです。
 
 
 
 
 
 
 

いつもは
長女の親友も一緒に通る
帰り道を歩きながら
 
 

そうした私の考えを伝えつつ
 
 
 
 
 
「自分の感じた気持ちを
親友に伝えたのか」
 
長女に確認してみると
 
 
 
 

「していなかった」と答える長女。
 
 
 
 
 
 
 
それならまずは
 
 
「折角作ったものに対して
そんなふうに言われて悲しかった」

 
と伝えてみて
 
 
 
 
もし
 
「傷付けてしまって悪かった」
と思って謝ってくれたなら
 
それで良いし
 
 
 
 
 
もしそれでも
謝ってくれないのであれば
 
 
 
残念だけれど
 
それまでの関係だったと思った方が
良いのかもしれない
ねと
 
 
 
 

そんなまだ9歳の長女には
少し酷かなと思うことも話しつつ
 
 
 
 
 
 
話題は
 
 
 
私が中学生や高校生の頃に
友達がいなかった
という話に。

 
 
 
 
 
 
 
何故私には
友達がいなかったのか
 
 
それを不思議そうに尋ねる長女。
 
 
 
 
 
 
私も改めて言語化したことは
これまで無かったため
 
 
娘にも分かるようにと努めながら
言葉を選びながら
理由を話していったのですが
 
 
 
 
 
これを話すことによって
 
 
そちらの方向に
本人も気付かないうちに
誘導することにはならないのか
 
と気になりつつ
 
 
 
 
 
しかしそれでも
 
 
自分に無理をしてまで
誰かに合わせて
「友達」である必要も無い
 
 
といったことも
 
 
伝えられれば良いな
と考えていました。

 
 
 
 
 
ただ娘にとって
 
 
友達がどれ程
 
学校生活に彩りを与えてくれている
存在であるか
 
 
 
痛い程分かっているので
 
 
 
 
「明日は仲直り出来ると良いね」
 
と最後は締めて
 
 
 
後は長女に託します。
 
 
 
 
 
 

そして翌日。
 
 
 
 
残ったほろ苦いクッキーを
かじりながら
 
 
仲直りしてくれていることを
願いつつ
 
 
 
学校にお迎えに向かいます。
 
 
 
 
 

学校に着いて
 
 
いつも通り親友と遊んでいる
長女の姿を目にした時は
 
 
 
心から安堵しました。
 
 
 
 
 
 
 
学生時代の一時期
一人で過ごしていたのは
 
 
 
自分で選んでしていたこと
 
 
 
 
 
 
そうかといって
 
 
 
寂しいという気持ちが
全く無かった訳では無い
 
 
 
 
あの時
 
 
心から笑い
全てを共有し
刺激がもらえ
 
一生の友となるような出会いが
あったのなら
 
どんなに良かっただろうか
 
 
 
という思いは
 
もちろんあるからです。
 
 
 
 
 
 
そして
 
 
今沢山の
そうした出会いに恵まれていることを
 
心底ありがたいと感じ
 
 
 
 
どんな人と出会えるかで
人生が変わる
 
とすら思っているからです。
 
 
 
 
 
 
娘の名前には
 
 
 
「たくさんの素敵な人に
巡り合えますように」
 
という願いが
込められているのですが
 
 
 
 
 
その願い通りに
 
 
人と関わるのが
大好きな子に育ってくれた長女には
 
 
 
 
折角作り上げてきた
大切な友人との絆を
 
ここで失って欲しくない
と思ったのです。
 

 
 
 
 
 
 
 
このように
 
最近の子育てにおける悩みは
 
 
 
 
自分の人としての在り方が
問われる
ようなものに
なって来ている
 
 
と感じるがために
 
 
 
 
 
自分を少なからず
偏った人間だと認識している私には
 
 
 
 
「これで良いのかな...」
 
と悩んでしまう機会が増えて来ていて
 
 
 
 
それ故に
 
 
「子育てって難しい!」
 
とより一層思うようになった
という訳なのでした。
 
 
 
 
 
 
しかし
 
 
人は一人一人違い
万人に共通する「普通」は無いし
 
 
 
 
私は私でしか無く
 
 
私がこれまでの経験から
「正解」だと考えていることを
伝えていくことしか

 
やはり出来ない
 
 
 
 
それこそが
私がすべきことなのかなと
思っています。

 
 
 
 
 
その上で
 
 
子どもたちには
 
子どもたちにとっての
「正解」を選んでいく力がある
 
 
 
そう信じて
 
 
 
 
これからも
 
 
いつでも一番の味方で居ながら
 
見守っていけたらと思っています。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!