さらに調べてみると私が考えていることは、最新物理の量子力学や哲学の形而上学の中間的なもののように感じる。

私は一時期、いくつかの古典哲学の本を読んでいた。

その中でも形而上学的な見方に関心がいった。

現象界の奥にある、世界の根本原理を純粋な考えや直感によって探求する学問。

そして科学も現象が先で、その現象を分かりやすく理解するための道具であると考える。

量子力学はつかみどころのない現象を科学として理解しようとしている学問だと捉えている。

二つに言えることは三次元的な考えでは、理解できないとういうこと。

 

その後しばらくして、もしこのことを二郎さんの子供が知ったらどう思うだろうかとふと気になった。

少し調べてみたら、二郎さんの事を語っている記事を見つけた。

その一部分に、二郎さんが職業選びを間違えたかもしれないと語っていたという話があった。

その話を知った時、何故私が零戦に何も感じないのかが腑に落ちた気がした。

複雑な思いを抱いていた。

 

その翌朝、目覚めた瞬間涙が溢れ出てきた。

苦しんだ感情が一気に込み上げ心が痛んだ。

本当に一生懸命だった。戦争の中あまりに重かった。

情熱を捧げた。本の執筆も責務からしたことだろう。

誰もが時代に翻弄されている、未来からなら何とでも言える。

感情が流れ込んでくる感じを、不思議と受け止めている自分がいた。

こうやって繋がりを感じられるのだと自然と分かった。

それは彼が守護霊として繋がっているからなのか、はたまた、やはり前世だからなのかは分からなかった。

 

 

それからますます驚くことが分かった。

彼の子供の名前と私の子供の名前が類似していたのだ。

例えば“ゆきこ”が“ゆきお”となったように似ていたのである。

「・・・。」

息をのんだ。

どうしたらこんな重なりがあるのかとまたしても衝撃を受けた。

どういうことなのか? まさか本当に私の前世なのか?と。

そうだとしたらどのような意味があってこのような現象が起きているのだろうか?

自分でもこの偶然という言葉では片付けられない事実に対処できず戸惑い、モヤモヤと考えあぐねた。

 

以前、旅行先で無性に懐かしい気持ちになった時があった。

昔ここに居たことがある気がする、初めてではない、もしかしたら前世で居たのかもしれないと。

あの懐かしい気持ちがあると納得してしまうのだが、相変わらず何も感じられない。