そのままの私に戻るまで

そのままの私に戻るまで

摂食障害のおかげで気づいた生きづらさ。

自分と仲直りしよう。

日々の気づきや心が動いたことなどを書いてます。


 父が救急搬送され入院した
 と連絡を受けて帰省して2週間
 が経ちました
 手術後数日経ち、懸念されていた
 脳梗塞や感染症などは
 今のところ表出しておらず
 順調に回復しています
 
 この2週間は
 父の容態が安定しないことで
 それに伴い感情が揺れ動き
 どうにか私自身を平穏な状態に
 持っていこうと意識した日々でした
 ほとんど投稿しなかったのは
 どれだけ取り繕っても
 どうしても言葉の端々に
 不安や焦りや疲労や恐れのエネルギー
 が乗ってしまうからです
 自分では
 リラックスしているつもりだけど
 思い返してみたら
 常にわずかに不安と焦りがありました
 
 今それがわかるのは
 リラックスし始めているからです
 緊張があるときには
 意外と気づかなくて
 
 ゆるんだ時に初めて
 緊張していたことがわかるものです
 渦中にいる時は
 完全なリラックス状態とはいかないけれど
 MOMEDのLOVERを踊ったり
 丹田に意識を向けて呼吸したり
 やれることをやっていたから
 感情が揺れ動き
 緊張しながらも
 どうにか平穏を保てていたのだろうと思います
 MOMEDを知らない
 ストレッチもしない
 呼吸なんてすぐ忘れる
 そんな昔の私だったら
 もっと感情に振り回されたし
 不安で頭が支配されていたでしょう
 今回の事がMOMEDFESの3日間に
 重なっていたからこそ
 それなりに気持ちも身体も安定して
 今回のことを受け止められたのだ
 とも思っています
 そして何よりも
 心を寄せてくださり
 応援や励まし、寄り添うメッセージや
 応援のエネルギーを送ってくださった
 多くの皆さまに支えられて
 私はこの日々を乗り越えられました
 不安で弱気になった夜も
 疲労で被害者意識が爆発した時もありました
 どんな時も絶妙なタイミングで
 軽快で明るく朗らかにやさしく
 ユーモアも交えて
 ホッと肩の荷が降りるような
 ふっと気が楽になるような
 皆さまがかけてくださった言葉たちに
 どれほど心救われ支えられていたことか
 本当にありがとうございます
 
 
 経過を振り返りつつ書いてみます
 長くなりそうなので
 読み飛ばしてもらって大丈夫です✂︎
 気が向く方はどうぞお読みください
 ・
 ・
 ・
 入院した父の病名は急性心筋梗塞でした
 予定していたカテーテル治療が
 造影剤アレルギーのため行えず
 応急処置を施してもらい
 日々を耐えていたのですが
 その処置のため
 身動きが取れないストレスで
 父はせん妄が見られるようになり
 わけのわからないことを言ったり
 点滴を抜こうと暴れたり
 看護師さんに噛みつこうとしたり
 したようです
 鎮静する薬を投与したので
 半ば強制的に眠っていましたが
 目覚めても酒に酔ったようになり
 呂律が回らず
 自身の置かれている状況も
 把握できないようでした
 食事が摂れず
 睡眠もままならないようで
 治療を一度中断して
 薬剤投与で様子を見ていたところ
 心筋梗塞を再発し
 再度応急処置を行い
 そのまま手術までどうにか凌ぐことに
 なりました
 少しずつ正気を取り戻した父は
 どうにか手術の日を迎え
 7〜8時間の手術を終えました
 
 この手術、死亡の可能性は5〜10%、
 脳梗塞や感染症の他にもいくつものリスク
 があると医師から説明を受けたので
 ある程度の覚悟をしながらも
 私の知る穏やかな父の姿を
 もう見れないかもしれないと思うと
 やはり寂しく、悲しくてやるせない
 気持ちになりました
 
 いろんな気持ちを感じる中で
 死というものは特別ではなく
 すべての人に訪れる当たり前のこと
 だとわかっているつもりでしたが
 父が死を迎えるのはまだ先だと思って
 いたことに気づきました
 父のことが大好きで
 世界で最も大切な人の1人だということ
 命があるのは
 当たり前のようで当たり前ではない
 ということ
 悲しい思いをした分
 人は優しくなれるのだろうということ
 そんなことを感じました
 ・
 ・
 ・
 父が生きているのは当たり前ではない
 いま生きているのも奇跡だと思う
 この2週間に何度か口にした言葉です
 
 どうにか繋いでもらった父のいのち
 
 一緒に食事ができる日がくるのを望みながら
 いま生きていることへの感謝を味わっています
 
 本当にたくさんの人に
 私自身が支えてもらって生きている
 ということが身に沁みてわかりました
 
 こんなにたくさんの人が
 こんなにやさしく心を寄せてくれるのか  
 と感謝と感激で涙した夜が何度もありました
 
 私がみなさまにしてもらったように
 次は私が誰かの心に寄り添い
 肩の荷をおろすそんな言葉をかける側に
 なっていきたいと思います
 たくさんいただいた愛を
 世界にたくさん放っていこうと
 改めて思います

 


 FES3日目の早朝
 母からのLINE
  箇条書きで不穏な内容が目に入った
 あとから落ち着いて考えたら
 大丈夫と分かりそうなものだろうけど
 いやはや焦った
 これはもうすぐにでも駆けつけなければ
 と思い荷物をまとめはじめると涙がこみ上げる
 ああ、私全然大丈夫じゃないと知る
 父がいま天に還るなんて
 受け入れられない、寂しすぎる
 そうこうしていると母と連絡が取れて
 やはり私が勘違いしていたと判明
 いやいや
 「いのちが危ない」の表現は
 誰が見てもそう思うやろ
 というわけで最終日も参加することにして、
 それでも
 その後すぐに父の顔を見に行こう
 と決めたのでそのための諸々の手続きを行う
 長時間の新幹線移動からの連日FES
 全力参加で腰が痛くてたまらない
 あまりよく眠れていないし
 朝から感情のジェットコースターに
 乗ったようだったので
 これは整えなければならないと
 2日ぶりのストレッチを数分間行う
 ぷすーと息を吐いていくと
 徐々に落ち着きを取り戻してきた
 ああやっぱり私には
 この時間が必要なのだと思い知る
 その後突然襲う身体の重たさと睡魔に
 たまらず横になりながら
 ぼんやりとした頭の中に
 たくさんの「ある(愛)」が浮かび上がる
 深夜のラブレターのような 
 ともすると気持ち悪いDMを
 Canonさんは読んでくれていて
 メンションしてくれていた
 そこに添えられたCanonさんの言葉に
 また励まされ
 その愛にひたひたに浸って安心した
 事情を知っている仲間は
 タロットを引いてみたよー
 とメッセージをくれた
 それを見てすべてが繋がる感覚が
 シャワーのように降り注いだ
 深刻になる必要なんてなくて
 生と死は平等に訪れる特別ではないもの
 でもそこに対して湧き上がる悲しみとか 
 戸惑いとか隠そうとして
 戦おうとしていたけど
 1人で戦う必要なんてないし
 そもそもこの世界は戦う必要なんて
 なかったんだって教えてもらった
 
 寄り添ってくれて
 ただそこにいてくれて
 そっと背中を押してくれて
 思いを寄せてくれる
 そんなたくさんの人に支えられて
 私は生きている
 そして
 起きる現実をどう捉えるか
 その叡智は存分に分け与えられていて
 あふれんばかりの愛も注がれていること
 大きな存在に守られていること
 それを知るために
 今回のことは起きたんだと思ったら
 感謝が溢れて涙が込み上げた
 私の周りの人、関わる人すべてに
 私は支えられていて生かされている
 その感謝と重たい身体と共に3日目の 
 FESに向かった

 
 最終日の盛り上がりは想像に難くない
 
 それなのに私の体調は悪く
 気持ちもそこまで盛り上がらない
 その時に思った
 身体の力が抜けるように
 リラックスするために
 いま身体がだるいのかもしれない
 この重たい身体のまま無理をさせずに
 エネルギーを感じよう
 エネルギーで動こう
 それをするためのベストな条件だ
 
 会場に着いたのも遅かったので
 後方で少し落ち着いて感じられるような
 場所を探す
 あるスペースでストレッチをしている人たちが いたので親近感を覚えてその付近で参加するこ とにした
 あんなにだるかったのに
 LOVERを3回終える頃には
 尊✨💖な気持ちになった
 あとは
 もうエネルギーを浴び続けた
 次々と繰り広げられる
 素晴らしいステージに
 ついうっかり分離を感じては
 それに気づいて
 わたしから始まった世界にあるステージ
 という意識に戻していく作業をした
 とてもとてもやさしい世界が
 わたしの目の前に繰り広げられている
 この世界を見ている
 わたしの世界で繰り広げられている
 私の世界はこんなに愛に満ち溢れている
 そう思いながら各ステージを見た
 
 最後はもう祭りですね
 とにかく龍を父の元へ
 母の元へと飛ばした🐉(切実)
 参加前は体力持たないだろうし
 どうしようかなあと思っていたが
 さすがMOMED
 
 終了する頃には元気になっていた
 それでも
 みんなでワイワイしたい気持ちにはなれず
 気にかけてくれている仲間に挨拶のDMを
 送った
 
 直後に電話があり少し会うことになったのだが
 なんと
 気持ちも身体にも余裕のない私を想い
 中華街でお土産を買ってくれていたのだ
 こういうさりげない優しさが沁みて沁みて
 心の奥深くまであたたまりほぐれていく
 宿泊先に向かって歩きながら
 いろいろ話して
 最後にサラリと別れる
 その感じもとてもいい
 またすぐに会えるだろうという感じで
 とても軽やかなのだ
 さりげなく当たり前のようにそばにいて
 それもなんとも絶妙な距離感でそこに
 いてくれたこと
 彼女がいなかったら
 今回こんなに落ち着いていられなかった
 かもしれない
⁡ 
 
 不思議なご縁に感謝を感じながら3日間を終えた
 父は予定していた処置が
 アレルギー反応が出たりして中止になり
 なんだか全て予定調和とはいかない
 その感じが
 さらに私に肚を意識し
 気持ちを落ち着かせるようにと
 意識させてくれる
 そして絶対大丈夫だと
 信頼するエネルギーを
 わたしから発するのだと背筋が伸びた
 

 MOMEDFES2日目の朝
 父の病名と今後の予定を知らせる
 連絡を受けた
 なるほど、そうか
 と受け止めながら
 少し心は不安も感じていた
 フェス前に魂の願望数3の仲間とお茶をした
 父のことを話すつもりはなく
 それはそれ、これはこれ
 と分けて考えていようとしたのだけれど
 私の内側には不安はあれど
 冷静に思考している感覚があったので
 昨夜連絡があった時からの私の内面
 をシェアをさせてもらった
 ・大難が小難になったと思ったこと
 ・特別なことが起きているわけではない 
  と感じたこと
 ・それでも心は揺れ動くこと
 ・いざという時はここからすぐに
  駆けつけられると思いホッとしたこと
 聴いてくれた仲間は私よりも先に
 似たようなことを経験しているからこそ
 寄り添いながら
 慈悲をもって話を聴いてくれた
 ひと通り話を聴いてくれたあとで仲間が、
 フェス終わったら
   そのまま会いに行ったらいいよ。
 きっとお父さんも不安だろうから
 さおりんの顔見たら安心するからね。
 という感じで言ってくれて
 その言葉が私の背中をあたたかく
 押してくれた感覚が忘れられない
 仲間に話してからわかったのだけど
 私はこういう
 自分に何か起きている渦中のタイミング 
 では人にそのことを話そうとしない
 よほど苦しくてわけがわからなくて
 助けを求めるという以外には。
 すべて終えてから
 もしくはある程度落ち着いてから
 こうだったよ、こうなったよ
 と話すことが多いことに気がついた
 まあ、あまり楽しい話ではないし
 なんか暗い気持ちになったら嫌だな
 気を遣わせたら嫌だなという思いと
 話すことで不安のエネルギーが増大
 したり問題が大きくなってしまう
 気がして避けていたのだと気づいた
 でも、実際に話を聴いてもらったら
 私の気持ちは確実にゆるんだのがわかったし
 ひとりで何かを抱えて
 それを秘密にするということは
 実はわりとエネルギーを消耗し
 人との間に壁をつくるのだと知った
 私の強がったり、不安だったり
 だけどこう思いたいんだという頑固さ
 とか全部ひっくるめてそのまま
 否定せずに聴いてくれて
 変に慰めるでも励ますでもなく
 寄り添ってくれて
 かといって重苦しくもなく
 なんだかとても普通な感じで
 居てくれた仲間には感謝しかない
 
 そんな心境の中の
 MOMED FES DAY2は
 祈りの気持ちで参加しようと決めて
 会場に向かった


 アイキンは最高にカッコよかった
 主婦をしていたところから
 絵を描き始め
 ひとつずつひとつずつ自分と向き合いながら
 挑戦してきたその道のりを思うと
 在り方から生き方すべてがカッコいい
 さすがアイキンだな
 と思った
 ・
 セブンティーンアイドルはもう
 初日からもれなく泣く
 感動がすごいのよ
 やっぱりね
 メンバー全員50代以上というのが
 深みと重さがあって
 泣けて泣けて仕方ない
 全力で応援させていただいた
 そんな中でも
 頭のどこかには父や母のことがあり
 ふわりふわりと時々よぎった
 たまたま2日目だけは
 2階席からの参加だったので
 落ち着いた気持ちでいられたのは
 本当にありがたかった
 それでも始まるとついつい夢中に
 なっちゃうのがMOMEDで
 客席の狭い空間でも踊りまくった
 そう、思考を振り払うように

 息づかいや涙も見えるアリーナと
 全体を俯瞰して見れる2階スタンド席
 この両方を体験できたことは
 私の人生の視点にも影響を
 与えてくれそうだ
 アンコールのspinerは
 レーザー光線ギャンギャンですごすぎて
 思わず笑ってしまう
 人は驚きすぎると笑うんだな
 と思った
 そんなFES中にも連絡は届いていて
 通知がなるたびに意識がそちらに向く
 内容が気になるが
 今見たら完全にそちらに気持ちが
 向いてしまうのではないか
 と踏みとどまる
 それでも、やっぱり気になるから
 FESが終わってすぐにメッセージを確認した
 病名や状態を知らせる内容を読みながら
 やはりというか
 むくむくと不安が湧いてくる

 予定していた手術が中止になったなど
 全てが予定不調和だ
 大丈夫なのだろうか
 この表現はどういうことなのだろうか
 文章だけでは
 細かい状況がわからず
 落ち着いた場所で連絡を取りたい
 という焦り
 もうね、やはり揺れ動くものだな
 と思った
 早く連絡を取って事実を確認して
 安心したい!という不安のエネルギー
 を出していたと思うし
 焦りも感じたし
 FES中だからこそ
 それを俯瞰して見つめられるタイミング 
 だったのはありがたいしかなかった
 ホテルに戻り母と電話で話し
 状態や状況を知り
 私の気持ちも落ち着いた
 すぐにでも
 駆けつけることもできることと
 顔を見に行くと伝えた
 FES前に話を聴いてくれていた仲間
 のおかげで私は渦中にいる自分を
 取り繕うことなく
 強がったり隠したりすることをせずに
 そのままでいれたことに
 どれだけ救われたかわからない
 今こんな状態なんだよー
 とアウトプットする事で
 その事象と自分の心境を
 俯瞰して見ることができる
 それはひとりでノートに書くのでもいい
 私にとって今回
 心境をシェアすることができる相手
 がいてくれたことがありがたくて
 ありがたくて
 私の世界にこんなふうに思いやりと
 優しさと慈悲を持って話を聴いてくれる  
 人たちが現れていることがありがたくて
 私から元気の波紋を広げようと思えた