どうも柊です


蛸島を後にし能登線の廃線跡を巡りつつ穴水方面へ向かっていきます
蛸島の1つ隣である正院駅にやってきました

蛸島と同様で駅舎とホームは残っていますが、駅文字の一部が消えてもはや暗号化してますね。右にある「正院町走ろう会」とは一体・・・?のとレール・エア21が設置したものなのか。少なくとも設置したとしたら廃線になる直後か廃線後だと思いますけどどうなんでしょうね
ホームと線路があった跡もしっかり残っていました。次の場所へ向かいます
道の駅すずなりにやってきました

ここは能登線の珠洲駅があった場所で、珠洲はかつて能登線のなかでも主要の駅。主要駅ということもあって、かつて運転されていた急行列車の多くや、定期列車の一部もこの珠洲止めだったらしく1985年のダイヤを見ていると12往復設定されているうちの半分しか蛸島まで行かなかったとか。当時は車庫があって夜間停泊の設定や、のと鉄道に転換される前の国鉄時代には貨物扱いもしていたので構内がとても広かったらしいですが今はその面影もなく・・・

ですがかつて構内が広かっただろうということは何となく伝わってきます。
珠洲市は鉄道が走っていたことを残そうということで色々と当時の跡が残っています
ホーム・線路・駅名標・信号機と…流石に当時こんな位置に信号機は無かったと思いますが、奥にも同じものが見えますけど、ホームが移動したのかそれとも信号機が移動したのかは不明です
次はまた一つ隣の珠洲飯田駅にやってきました
 
長野県の飯田市や近くのバス停に「能登飯田」も存在するため、開業した当時は「珠洲飯田駅」だったそうですが、のと鉄道に転換されてからは区別する必要がなくなったのか「飯田駅」に改められたそうです。となると今の表記が「珠洲飯田」なのは一体…? 恐らくその下にある「小さい忘れもの美術館」というワードに答えがあると思います。
駅舎の前にポツンと置かれたベンチには「のと飯田温泉 日本観〇連 交通公社〇定…?」と書かれています。おそらく「のと飯田温泉 日本観光連盟交通公社協定」だと思います。この近くに名前の温泉旅館があるのかと後に調べてみたところ一番有力なのがこのブログにあるもの

赤木圭一郎・青木旅館・飯田スメル館 - 能登のうみやまブシ(西山郷史)「能登のくに」第二号に新発見の黒峰城主伝阿部判官の画像を載せるため、人物名で整理しておいたフォルダーを開いていくと、「赤木圭一郎」が出てきた。 この写真は、高校1年の時、同級生からもらったもので、その同級生が撮ったものらしい。だから、おそらくその同級生周りの人々しか知らない写真である。 そういう意味では貴重な写真なので、3枚中2枚を紹介する。 ぼぁーとした記…リンクumiyamabusi.hatenadiary.org


この青木旅館さんの二軒隣に「飯田スメル館」という日活映画を上映していた場所があったらしく、今はもう営業停止していて「旧飯田スメル館」となっているそうです

分かりづらいと思いますが、真ん中左端辺りに貨車がちょこんと写っているのがお分かりいただけるだろうか

そこが珠洲飯田駅になるんですが、そこからちょっと行った所に現在の「旧飯田スメル館」があるんですよね。そしてその12年前のブログを読むに、その2軒隣が青木旅館さんだということになると思うんですがGoogleで検索しても出てこないということは恐らく…

これに関しては調べてもあまり出てこなかったので深追いはしません。そもそも「のと飯田温泉」自体が検索しても長野県の飯田しか出てこなかったですし💧
どの駅にも鍵がかけられており中に入ることはできませんが、カメラを覗いてみたら当時の時刻表が残っていました。昭和53年改正とありますけど廃止されたの2005年ですよね?その頃の時刻表は一体どこへ。 これも調べてみたら他に昭和47年の時刻表など色々と出てきましたが、これ以外にも多くの急行列車や臨時列車が金沢や名古屋・大阪から運転されていたそうです。それにしてもここから金沢って結構な距離では・・・?

珠洲飯田駅は高台の場所にホームがあるためちょっと長い階段になっています。さっきGoogleマップでも見えていたものが遠くに見えますね
廃駅にポツンと存在する謎のワム

これは何かと言うと2017年に行われた「奥能登芸術祭」に使用されたもの。奥能登芸術祭については個人で調べてもらえたら幸いですが、当時のと鉄道能登線の一部旧駅舎などが現代アート展示として蘇る事が決定し、テーマは「最涯の芸術祭、最先端の美術」らしく使用された駅は「蛸島」「珠洲」「珠洲飯田」「上戸」「鵜飼」の5駅。

そして奥能登芸術祭で飯田駅を使用する際に、河口龍夫さんという方が「忘れものを集めた美術館へと生まれ変わらせる」という事で飯田駅を使って出来たのが駅舎にあった「小さい忘れもの美術館」らしい(違っていたらすみません) 

奥能登芸術祭当時はホームにたくさんの傘が地面に刺さっていたらしく「駅で忘れられるもののチャンピオン」としての意味があるみたいです。

他にも鵜飼駅はアデル・アブデスメッドさんという方が「静止した時間」とのコンセプトで作品を構想しているらしいです。

このワムも「小さい忘れもの美術館」の一つで、ワムの中は内壁を黒板として使用し「忘れたくない言葉や未来に残したい言葉を書いてください」とメッセージが書けるようになっています。ちなみに駅舎の中も芸術祭で使用され、中は黄色い絵がたくさん描かれているが素人の自分には良さがさっぱり分からない。今はもう傘は撤去され、芸術祭で色んな方々が残したであろうメッセージと共に1両の貨車が残るのみ
芸術祭を終えても尚ポツンと佇むこのワム

このワムそのものと能登線こそ、現代人の「忘れもの」なのかもしれない
珠洲飯田駅は珠洲市の市役所が近くにあったりと、珠洲市の中心はどちらかと言えばこの駅なんですがパッと見だと秘境駅ですよね。
貨車のみでは当然動けず誰かに牽いてもらわない限りそこに留まり続ける。もう二度と動く日は来ないのだろう
宇出津寄りの線路を見る

ここ以外にも先程書いた鵜飼駅は、紀州鉄道のキハ605を富山県の伏木から持ってきてアート展示の一部として使用されていたらしく、芸術祭後の現在は岐阜県羽島市に保存されています。

ちなみに調べてみたらこのワムもそうらしいですが、こんな道の狭いところ一体どうやって持ってきたのか。陸送だと思いますが、写真をいくら探しても出てこないので少し不思議です。今回のワムについては知らなかったので「エモいなー」なんてオタクと話しながら1時間近く撮影していました笑

 検索しても引っかかるものが少なく、一部は他の方のブログ記事を参考にして書いていますが間違っていたらすみません。閲覧ありがとうございました