千葉県いすみ市行川の森の中に、桜花四十三乙型の格納庫と旋回盤跡が遺っている。
カタパルトの開発は昭和20年2月、桜花四十三乙型本体の開発は3月から始まったが、結局終戦の8月15日までに桜花がこの基地に届くことは無かった。
↓旋回盤跡
↓格納庫
格納庫寸法
奥行き 36.5m
高さ 5.2m
幅 4.55m
旋回盤直径 3m
藪漕ぎで遺構を探していたら日も暮れてしまい、見つけた頃は薄暗く、あまりよく写真に撮れなかったけれど…(画像では明るく見えるが、実際はもっと暗い)
実戦に投入された初号機である11式は、一式陸上攻撃機を母機とし、その下に吊るされた状態で離陸し目標近くまで運ばれ、目標近くで母機から切り離されグライダー滑空(突入時などにロケットエンジンを使用)するタイプで、航続距離が短い上に、母機である一式陸攻はそもそも重い上に桜花(胴体と尾翼部分が金属製、主翼は木製…)を抱えて敵機の哨戒圏内に入らなければならないので、無謀過ぎた。
(想像すると悲し過ぎる。)
それに伴い、機体の改良が進められた。
その中で、この基地に配備される予定であった四十三乙型は、航続距離を格段に伸ばし、陸上からカタパルト射出発進を行うタイプに設計された。