【Interview】「音楽のイマとコレカラ」音楽との出会い〜ジェイソン・マイルス | 新世代ジャズ・ウェブマガジン「The Ensemble Magazine」

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「音楽のイマとコレカラ」はじめに。

「音楽のイマとコレカラ」ジェイソン・マイルス Part.1
~一夜のジャムセッションが生んだ新たなプロジェクト~


「音楽のイマとコレカラ」ジェイソン・マイルス Part.2
~人々がジャズとは何かを決めるんだ~


「音楽のイマとコレカラ」ジェイソン・マイルス Part.3
~音楽ビジネスの抱える問題~


「音楽のイマとコレカラ」ジェイソン・マイルス Part.4
~ニューヨークのジャズシーン~


~ジェイソン・マイルス Part.5 音楽との出会い~

The Ensemble Magazine:

それではあなた自身の話に移りましょう。
音楽との出会いはどのようなものだったんですか?

Jason Miles:

音楽を始めたのは7歳の時、ドラムをやりたかったんだけど結局アコーディオンをやるように両親が決めたんだ。それでも私はすぐに夢中になってね、レッスンは近所の音楽学校にいたアコーディオンのスペシャリストに習っていたんだ。当時私は近所でストリートミュージシャンが演奏するドゥワップをよく聴いていた。ハーモニーがとても魅力的だったんだ。そしてさらに音楽に夢中になっていったのさ。後にテナーサックスプレイヤーとなるボブ・バーグが近所では一番の友達だった。彼はピアノを弾き、私はアコーディオンを弾いていた。12歳になる頃にはアコーディオンよりもピアノに私の興味は移っていた。セロニアス・モンクのレコードを聴いてからは私はピアノに本当に夢中になっていた。それから私の10代はニューヨークで様々な音楽に触れ、多くのバンドで演奏して経験を積むことに費やされた。そして大学へ行くためにそして徴兵を避けるためにニューヨークを離れた。

音楽を深く知れば知るほど、私はニューヨークに戻って何かを成し遂げなくてはいけないという想いが強くなっていった。また、当時の私はマイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』、ウェザーリポート、リターン・トゥ・フォーエバー、マハヴィシュヌ・オーケストラの影響でシンセサイザーにどっぷりとはまっていた。そして学校でボブ・ムーグと出会ってからは、ムーグ・シンセサイザーの虜になっていったんだ。私は音楽と同時にシンセサイザーにも夢中になっていたんだ。そしてマイケル・ブレッカーが私のシンセサイザーや本物の音楽を作る能力を認め、広めてくれたんだ。