アトピーZAKKAN -38ページ目

アトピーZAKKAN

まんま、アトピーの雑感です。

以前、易に行った話を書いた。

そこで言われたのは
「病気は治す手がない。」
「A君とは結婚しない。」
「向いている仕事はない。」

病気を治す手がないなんて言われて
なんかイヤだな~と思ったのだけど
冷静になって考えてみると
私はものすごく良いアドバイスをもらったのだと
わかってきた。

azは、ずっと
アトピーが治ったら幸せになるとか
いつか幸せになるとかじゃなくて
「アトピーでも幸せになる」
「今ある幸せを感じる」
ことを意識して生きてきたのに
いつのまにか
「どこかに画期的な治療法があって
私はそれに巡り会ってないだけなんじゃないか」
「どこかに私を救い出してくれる人がいるんじゃないか」
とか
「どこかに夢のような仕事があるんじゃないか」
と思いがちな毎日を過ごすようになってしまっていた。

幸せは「どこか」にあるんじゃなくて
「ここ」にあるもの。
それを忘れがちになっていた。

易が私に伝えてくれたのは
初心に帰りなさいということだったのかもしれない。
コメント欄でmumuさんも言ってくれたように
占いというのは、予言ではなく、アドバイスなんだね。

私の愛読書「神との対話」に書いてあった言葉。
nowhere (どこにもない)
という言葉は、区切る場所を変えれば
now here (今、ここに)
になる。

azは凡人だから
肉体的な苦痛が大きい時に
幸せを感じることは難しい。
それでも、azは「病気」だけの存在ではないし
幸せは「他のどこか」にあるものではなく
自分の心のなかに見つけるものだとうことを
忘れないようにしよう。
おから煮
ぬか漬け(キュウリ)
ごはん(白米&古代米)

おかずが、おからだけっていうのも何ですが、、(^^*ゞ

昨日「手の調子がいい」なんて書いたのに
それはホンノ少しの間のことで
今日はまた、痛くて痒くて (T T)
おから煮ながら、痛くて泣いてしまいましたよ。(笑)
だから、他には何も作るきがしなくて
途中で終わりって感じのごはんでした。^^;

でもね、手が痛いっていっても
一番ヒドイ状態だったときに比べたら
10分の1にもならないくらいのものです。
あれを乗り越えたんだから
今回なんか、笑って乗り越えてやる~。

ピーマンの肉詰め
コーンスープ
ぬか漬け(キュウリ)
ごはん(白米&古代米)


ピーマンの肉詰めは、冷凍してあった具を
ピーマンに詰めて焼いただけ。
コーンスープも、冷凍してあった
玉ねぎとベーコン炒めに
缶詰のコーンクリームと牛乳を混ぜただけ。
冷凍の在庫はありがたや~。


お月様がやってきて
体がだいぶラクになった。
見た目はまだまだ赤鬼で
人目には違いはわからないかもしれない。
でも、自分としては
パンパンにむくんで重かった顔が軽くなったし
左手は、小指を除いてグーもパーも
できるようになった。

右手も、昨日のように
「何もしなくても痛くてたまらない」ということはない。
体はすごい。
ありがとう!!

同じ地点でも
下り坂で見る景色と
上り坂でみる景色は違う。

このまま坂を上りたいです。
小鯵の生姜煮
ピーマンと玉子炒め
トマトサラダ(大葉&ポン酢)
ぬか漬け(キュウリ)
ごはん(白米&古代米)

手が痛いよー。
何本かの指がパンパンに腫れて
横の皺だけじゃなく、縦の皺も裂けている。

なんにもしたくない ・゚・(つД`)・゚・
azはスポーツ観戦が好きだ。
選手たちを尊敬している。
スポーツの世界は厳しくて
頼れる者は自分しかいない。
親が有名選手だろうと、ルックスが良かろうと
実力がなければ、認められない。

スポーツ選手のインタビューを見るのも好き。
彼らはまさに「夢に向かって努力してきた」人で
簡単に強くなったのではない。
話を聞くと感動してしまう。

その一方
彼らの努力物語を聞きながら
私の心が叫ぶ。
「”我慢”を努力にカウントしてくれるのなら
私だって松坂にも、イチローにも負けてない!!」

そして、ちょっとしたねたみ根性が顔を出す。
彼らは結局のところ
自分が好きで、しかも上手なことに対して
自ら選んで努力してるんじゃないか。
その結果、みんなから褒められて
おまけに何億という報酬を得ているではないか。
なんと恵まれた努力だろう!

私は好きこのんで病気になったわけではない。
「努力して治し」たくても
努力のしようがない。
、、というか、私はものすごく努力してるんだけど
その努力の大半は「我慢すること」に費やされているため
一見何もしていない、なまけもののようだ。
闘病は別に褒めてもらえることではないし
むしろ、人に迷惑をかけて、謝っているくらいだ。
お金をもらえるどころか、
お金を払いながら耐えなくていはいけない。

そして、なによりも
歯をくいしばって目標を達成したとき
私達は、何か卓越したものを手にできるわけではない。
私達が必死に得ようとしているのは
「普通の皮膚」で
いわば、普通の人には当たり前の
「ゼロ」地点だ。
私達がしているのは
マイナスからゼロに向かう努力。

そこに意味がないとは、決して思わない。
副産物としての「学び」は限りない。
ただ、あまりにも地味で
あまりにも辛い。
そして長い。
「もう十分」と思っても、降りることができない。
私は自分の運命をそれなりに受け入れているつもりだけれど
それでもやっぱり
もっと別の形で学べたら良かったのに、と思う。

昨日、高校の友達のY子と電話で話した。
Y子はご両親2人ともが
若年性アルツハイマーになってしまい
長年介護をしている。
Y子は私の「ラジオ英語講座仲間」でもある。
Y子が私にラジオ英語を勧めてくれたのだ。

昨日の電話で
「ラジオ講座、なかなか楽しいね」
「きっと1年続ければ、何かが変わるよ」
「小さなことでも、行動に移すことに意味がある」
と、2人でひとしきりラジオ講座を絶賛したあと
「でもさ、なによりも素晴らしいのは
努力したら、素直に報われるとこだよね」
というところで一致して盛り上がった。

Y子の日常も、
聞くも涙の努力の連続だけれど
その努力の種類も、そこから得られる結果も
私と同じで、おそろしく地味だ。
いや、私の場合マイナスからゼロに向かう努力だけど
Y子の場合はもっと大変で
放っておけばさらにマイナスになってしまう状況を
これ以上マイナスにさせずに
少しでも維持するための努力だ。
そのために、
ものすごい気力と体力と時間とお金を費やしている。
しかもY子はそれを、自分のためではなく
自分を犠牲にして、人のためにしているのだ。
日々淡々と。

ラジオ講座なんていうささやかなものが
妙に楽しく充実するのは
きっとY子も私も、プラスへ向かう努力に飢えているからだろう。
たとえ少しずつでも、かならず右肩上がりに結果がでる努力。
報われるって、素晴らしい。
続けるも、止めるも、自分で決められる努力。
なんて気楽なんだろう。

プラスへ向かう努力の喜びを味わいながら
ゼロへ向かう努力も、なんとかがんばろうね>私。

折しも昨日、
イチローがオールスターゲームで
2安打+ランニングホームランを打ち
MVPに選ばれた。
すごい!すごい!すごい!

私もがんばろう。
ゼロに向かう努力も、
いつかは必ず報われるはず。