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耳をすませて

ブログネタをヒントに、いろんな記憶の引き出しを開いていきたいなと思っています。

好きな昔話、童話 ブログネタ:好きな昔話、童話 参加中


私が小学校に上がる前は、母親がパートに行くとき、
保育園がお休みで、私を預けるところがなかったりすると、
よく近所の図書館に置いておかれたり、
小学生になってからは、父親が、時々、
童話の本を買ってきてくれたりしていたので、
童話はよく読んでいた方だと思います。

でも、今回のお話は、とってもメジャーなお話ばかりです。ニコニコ


小学校に上がる前の図書館では、
いつも、不思議の国のアリスか、
鏡の国のアリスを読んでいました。

図書館に行くと、真っ先にその本のところに向かっていって、
母親がパートが終わって迎えに来るまで、
ずっと、その本を読み続けていたので、
よほど好きだったみたいですラブラブ

その時のことを、少し思い出してみると、
自分もアリスと一緒になって、ウサギを追いかけて、
不思議の国へ行っていると、本を読みながら、
ずっと妄想し続けていたように思います。

小学生になってからは、
アンデルセン童話が好きでした。

イソップ童話の方は、ちょっと理屈っぽい感じがして、
その頃の私には、馴染めないと感じていました。

アンデルセン童話は、主人公がいつもロマンチックなんだけど、
必ず誰かが幸せになれてなくて、
悲しい気持ちで読み終えることが多かったです。

おやゆび姫なんかは、おやゆび姫自身は、
途中はいろいろあったけど、
最後は、自分が助けたツバメに、今度は助けられ、南の国へと行って、
そこで自分と同じ大きさの王子様に出会えて幸せになったと、
ハッピーエンドで終わったはずなのですが、
なにか、読み終えたとき、とても寂しい気持ちになってしまうんです。

それは、おやゆび姫を南の国へと連れて行ったツバメが、
本当は、おやゆび姫に恋をしていたんだけど、
それを言わないまま、おやゆび姫が
一番幸せになれる場所に連れて行って、
そうして自分は、その思いを胸に秘めたまま、去っていくんですね。

もっとも、ツバメがおやゆび姫に恋をしていたなんて、
そんなことは私が読んだ童話の文中には、
まったく書いてはないんですが、
最後にツバメが空を旋回しながら去っていくときの描写が
とても寂しそうで、本当は好きだったんだね、と思えてしまって、
読むたびに胸が痛んでいました。

でも、おやゆび姫は、それでもおやゆび姫が
最後には幸せになれたから、よかったんです。


同じくアンデルセンの人魚姫なんかは、
人魚姫は、自分の思いを遂げられず、
そして、自分が人魚に戻るために、
大好きな王子様を殺すこともできず、
(だからこの話はいいんですよねしょぼん
日が昇ったと同時に泡になってしまったという結末は、
小学生の私には、とても受け止められないくらいに悲しかったです。

でも、最初に人魚姫を読んだときは、
アンデルセン童話集の中のひとつとして読んだので、
結末は、そんな感じだったのですが、
その後に、また父親が、今度は、人魚姫だけの本を買ってきてくれたんです。

その本も、悲しい結末を予想しながら、読み進めたのですが、
その本での結末は、最初に読んだ人魚姫の結末に加えて、
さらに続きがあったんです。

それは、人魚姫が泡になった後、
空気の精だったか、泡の精だったかが、元人魚姫のところによってきて、
「(たぶん)1000回(くらい)、人間に幸福を与えることができたら、
本当の人間になれますよ。」
と言ってくれたんですね。
そうして、空気の精だかになった人魚姫は、
人間に幸福を与え続けて、人間になったという続きが書いてありました。

この続きを読んで、小学生だった私は、
本当に良かったと、心から安堵することができました。

でも、大人になってから、空気の精だかになった人魚姫の話って、
他では見ることができなくて、
もしかしたら、誰かが、人魚姫が可愛そう過ぎるから
お話をさらに作ったものを、私が読んだだけだったのかもしれません。

でも、そのお話があったから、小学生だった私も、
心から救われたように感じていたので、
人魚姫に関しては、結末が本当はどうだったかなんて、
詮索することはしませんでした。


でも、ちょっと許せない付け足しを見つけたことがあるのは、
同じくアンデルセンのマッチ売りの少女のアメリカ版でした。

本当のマッチ売りの少女は、貧乏で、
クリスマスのときに、マッチを売っても売れず、
売れ残ったマッチで体を温めているうちに、
大好きだったおばあちゃんが、天国から迎えに来て、
二人は天国で幸せに暮らしたということのはずでした。

でも、アメリカ版のマッチ売りの少女では、
結末が違っていたんです。

きっと、そのアメリカの人にとっては、
飢えと寒さで死んでいった少女が
たとえ天国では幸せになっていたとしても、
かわいそうで仕方がなかったんでしょうね。

それは、よその家の外で、マッチをすっていた少女を、
そのおうちの人が見つけ、そして、家に招き入れてくれて、
最後は、ブタの丸焼きを幸せそうに食べたという
お話になっているものがアメリカにはあると、
ある本で読んだことがありました。

その時は、マッチ売りの少女は、ブタの丸焼きなんて食べずに、
天国の光の中で、おばあちゃんと幸せに暮らして欲しいと、
切に願ってしまった自分がいたのでした。

うーん、こうやって書くと、アメリカの人の方が
私よりも優しいのかもしれませんけども。。。


とにもかくも、こうして、大人が読んでもかわいそうすぎて
ついお話の続きを作ってしまうアンデルセンの童話、
小学生のときは、悲しいけど、とっても大好きな童話でした。



ネッシーはいると思う? ブログネタ:ネッシーはいると思う? 参加中

私はいない 派!


まだ、これからも、どんどん投票されるから
最終結果は分からないですが、
いまのところの投票結果を見てみると
ネッシーはいるという人の方が、数は多いようですね。

でも、普通は、「ネッシーなんていない」、と思っている人は、
このネタを選ぶことは少ないじゃないかと思うので、
実際には、いないと思っている人の方が多いのかなぁと、
なんとなく、そんなことを考えていました。

私が、ネッシーはいない、という方に投票したのは、
実際に現地を見たことはないですが、
やはり、ネス湖という湖に、恐竜が住むのは大変そうだし、
もし本当に住んでいたとしたら、ちゃんとした証拠が
見つかっててもいいんじゃないかなと思うからです。

ネッシーの目撃証言がとくに多いのは、
1933年以降と言われているから、
恐竜が住んでいた証拠を見つけるには、
十分な時間があったと思いますし。。。


でも、そんな風に考えているにもかかわらず、
このネタを選んだのには、ちょっと理由があります。
ネス湖には、恐竜は住んでいなかったとは思うものの、
でも、恐竜ではないけれども、なにかがあったのでは?
と思ったりしているからです。ニコニコ


私は、スピリチュアル系から、仏教、ヨーガ、
そして、そこからさらに発展して、
カバラや、魔法関係の本もたまに読んだりしています。

魔法というか、正確には魔術系なんですが、
魔術っていうと、ちょっと怖いイメージがあるので、
魔法という言葉を使っています。あせる

その中で、今日お話を書きたいのは、
トートのタロットという、タロットを作った、
20世紀最大の魔術師ともいわれている
アレイスター・クロウリーという人のことです。

トートのタロットは、私が知っているタロットの占い師さんの中でも、
このタロットは当たりすぎて怖いからと、
トートのタロットを使わない人もいるくらいに、
よく当たる、といわれている、不思議なタロットカードです。

私は、そのクロウリーに、怖いけれども、ちょっと興味を持ってしまって、
その人の本を、いまのところ2冊ほど読みました。

そして、その本の中の前書きだったか、後書きだったかに、
クロウリー以外の人が、文章を書いていた箇所がありました。

その内容は、いま、それがどこに書いてあって、
なにが書いてあったかを、もう一度、探して、
読み直したりするのは大変なので、
うる覚えの状態で書くので、ちょっと間違っている部分も
出てくる可能性もありますが、その辺は、多めに見てください。おいDASH!

クロウリーは、1875年から1947年まで生きた人です。
その生涯は、お金持ちの家に生まれているので、
金銭的には困ったことはないようなのですが、
それでも、とても波乱に満ちたものだったようです。

しかし、彼の書物を読むと、難解ではありますが、
その神秘的なものに対する洞察力には、
とても感心して、うなずいてしまう箇所が少なくありません。

そうして彼は、生涯を魔術の研究に費やしたわけですが。。。

ようやく、ここからが本題です。
前置きが長すぎて、すみません。あせる

彼は、人生の後半を、ネス湖のほとりに家を買って、
そこで、魔術の研究に没頭したそうなんです。

ネス湖のネッシーの目撃証言が多発している
1933年頃は、その最盛期あたりだったのかもしれません。

だからなのか、前書きだか後書きだかに書いていた人の話によると、
ネッシーは、クロウリーが、なにかを研究しているときに発生させた、
特別なエネルギー体ではなかったのかと、
当時のクロウリーを知る人は、そう噂をしているそうです。

私は、その話を読んで、なるほどぉビックリマーク
なんて、妙に感心してしまいました。

それなら、たくさんの人が目撃していたにも関わらず、
本当に恐竜がいたという証拠が見つからない理由も納得ができるし、
また、クロウリーほどの人であれば、
そういうことができても、あんまり不思議に感じないしで、
私の中では、矛盾のない仮説として、納得できてしまったのです。

もちろん、その話が本当かどうかなんてことまでは
私に分かるはずはありません。DASH!

でも、ネッシーの話は、日本で盛り上がっていた以上に、
現地の人たちにとっては、その実態は不思議に満ちていて、
いろんな推測や噂が、想像以上に飛び交っているんだなと、
そんなことを感じることができたエピソードでした。

ネッシーはいると思う?
  • いる
  • いない

気になる投票結果は!?

春になったら何したい? ブログネタ:春になったら何したい? 参加中
本文はここから


春になったら、やっぱり桜を見に行きたいです。

桜が咲く頃は、もう、風も暖かだし、
毎年、近所の桜を、あちこち見に行くのを楽しみにしていますラブラブ


でも、桜って、子供の頃から好きだったかっていうと、
そうでもなかったんですよね。

まだ、私が小さい頃も、よく母親に連れられて、
近所の桜並木を見に行ったのですが、
子供のときは、薄いピンク色の桜に対して、
色が薄すぎるし、花が小さすぎるって、
けっこう不満が多かったものでしたあせる

だから、子供のときは、ぼたんの花が好きでしたラブラブ

色もハッキリしているし、花も大きいしで、
子供のときの私の理想の花だったんですね。(笑)

よく、近所のおうちの庭に咲いているのを見つけては、
そのボタンの花に見入っていたものでした。

でも、ある時、そのボタンの花が地面に落ちているのを見たとき、
なんだか、悲しくなってしまったことがあったんです。

それまでは、そんな風に感じたことはなかったに。。。

その散り際が、潔くて好きだという人もいるし、
それまでの私も、そのひとりのはずだったのですが。。。


そうして、大人になったあるとき、
それまで、色が薄くて花が小さいとバカにしていた桜が
風に舞って散っていく姿を見たとき、
その美しさに見とれてしまったときがありました。

いわゆる、桜吹雪ってやつですね。

そうなると、今度は逆に、
子供のときに、この美しさを理解できなかったことが
なんだか不思議になってきてしまいました。


日本には、四季というものがあって、
その四季折々に見せる表情は、おそらく、毎年毎年、
少しずつ、違ってきているのだと思います。

また、それを見ている私たち人の方も
少しずつ変化してきているから、
毎年、違う表情が見えてくるのかもしれません。


ボタンの花の散りゆく姿を見て、急に悲しくなったとき、
桜の花吹雪をみて、急に美しいと見とれてしまったとき、
きっと、どちらのときにも、私自身の中で、
なにかが変化したときだったのだと思います。

いまとなっては、その時に、何があったのかなんて、
残念ながら思い出すことはないのですが。。。


だから、毎年、大好きな同じ桜を見に行っても、
また、違った何かを感じさせてくれるかな、
なんて、そんな期待もあったり、
でも、いつもと同じ桜にまた会えることが楽しみだったりと
いろいろ夢想しながら、今年の桜に会えるのを
いまから楽しみにしています音譜


耳をすませて
去年、出会った桜です♪