内村航平 「母の言葉篇」
http://london2012.nikkansports.com/gymnastics/news/f-sp-tp0-20120802-993754.html
男子個人総合決勝
内村が最高のどや顔で金メダルだ! 世界選手権個人総合3連覇の内村航平(23=コナミ)が、出場選手24人中、ただ1人、全6種目で15点以上をマーク。圧倒的な強さを見せ、合計92・690点で自身初の五輪金メダルに輝いた。個人総合の日本選手の金メダルは84年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司以来28年ぶり4人目。また、内村は同種目で、世界選手権と五輪を制した初の日本選手となった。
内村は、団体総合決勝でミスをしたあん馬のスタート。「今まで経験したことがない」と不安があったが、しっかりと着地までまとめ、最高のスタートを切った。3種目目の跳馬では、2回半ひねりの着地を見事に決め16・266点の高得点。首位に立つと、その後は1度もその座を譲らず逃げ切った。
金メダルを取りに行くために、平行棒と鉄棒の技の難度を落とした。代表の森泉貴博コーチから進言されたが、「最初は自分らしくないと迷った」。しかし、同室には、一緒に表彰台に上がろうと誓い合った親友の山室が団体総合決勝の跳馬で骨折し、左足にギプスを巻いていた。森泉コーチに「金メダルを山室に持って帰ろう」と言われ、納得した。
団体総合では「自分らしい演技ができなかった」。しかし、この金メダルで「やっと内村航平を証明できたと思う」。そう話すと、最高のどや顔になった。
http://london2012.nikkansports.com/gymnastics/news/f-sp-tp0-20120802-993651.html
表彰台の内村は左手でメダルを持つと、何度も何度も確認するように見つめた。声援に右手の花束を挙げて応えたときも、自分の手からメダルを放すことはなかった。08年北京五輪から、この日のために厳しい練習を積んできた。「夢かと思いました。重たいし、一番輝いている。今も夢みたいで信じられない気持ちです」。09年から世界選手権の同種目を3連覇した王者にも、五輪のメダルは別格だった。
会場には本物の内村が帰ってきていた。最初の競技はあん馬。他の有力選手も落下などのミスを重ねた鬼門で、この種目2位の15・066点を出した。団体でのミスが頭に浮かび「苦しかった」と話したが、同時に「あん馬を乗り切れれば最後まで行けると思っていた」と勝負をかける気持ちだった。
つり輪でも15点台を出して迎えた跳馬の演技。スタート地点に立つ内村に、平行棒の演技を待つ田中和が「ガンバ」と声をかけた。スタンドからも「ガンバ」の声が響く。気負いのない表情でスタートすると、2回半ひねりから難度の高い前向きの着地。当然のようにピタリと止めると、会心の笑顔がはじけた。この種目トップの16・266点を記録した。その後も演技内容を微妙に調整し、致命的なミスなく高得点を重ね、全6種目で15点以上を記録した。
表彰式後はスタンド応援団の元に行き、花束を母・周子さんへ向かって投げた。「やっとここまできたなとという思いと、いろいろな思いが込み上げました。親には一番の感謝の気持ちが込み上げました。チームのため、国民のために気持ちを強く持とうと思った。ただただ、ありがとうと言いたい」と感謝の気持ちを口にした。
まだ23歳。16年リオデジャネイロ五輪には連覇がかかる。「これからも体操人生は続くので、演技で恩返しをしていきたい」。世界最高の演技を続け、日本を励まし続けていく。
内村航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日、福岡・北九州市生まれ。3歳で長崎・諫早市に移り、両親が経営するクラブで体操を始める。15歳で体操が強くなるために単身で上京。日体大に進学し、08年北京五輪では団体と個人総合で銀メダルに輝いた。09~11年世界選手権個人総合で前人未到の3連覇を達成した。両親と妹春日(はるひ)の4人家族で、全員が体操をする。160センチ、54キロ。得意種目は床運動。
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男子個人総合決勝
内村が最高のどや顔で金メダルだ! 世界選手権個人総合3連覇の内村航平(23=コナミ)が、出場選手24人中、ただ1人、全6種目で15点以上をマーク。圧倒的な強さを見せ、合計92・690点で自身初の五輪金メダルに輝いた。個人総合の日本選手の金メダルは84年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司以来28年ぶり4人目。また、内村は同種目で、世界選手権と五輪を制した初の日本選手となった。
内村は、団体総合決勝でミスをしたあん馬のスタート。「今まで経験したことがない」と不安があったが、しっかりと着地までまとめ、最高のスタートを切った。3種目目の跳馬では、2回半ひねりの着地を見事に決め16・266点の高得点。首位に立つと、その後は1度もその座を譲らず逃げ切った。
金メダルを取りに行くために、平行棒と鉄棒の技の難度を落とした。代表の森泉貴博コーチから進言されたが、「最初は自分らしくないと迷った」。しかし、同室には、一緒に表彰台に上がろうと誓い合った親友の山室が団体総合決勝の跳馬で骨折し、左足にギプスを巻いていた。森泉コーチに「金メダルを山室に持って帰ろう」と言われ、納得した。
団体総合では「自分らしい演技ができなかった」。しかし、この金メダルで「やっと内村航平を証明できたと思う」。そう話すと、最高のどや顔になった。
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表彰台の内村は左手でメダルを持つと、何度も何度も確認するように見つめた。声援に右手の花束を挙げて応えたときも、自分の手からメダルを放すことはなかった。08年北京五輪から、この日のために厳しい練習を積んできた。「夢かと思いました。重たいし、一番輝いている。今も夢みたいで信じられない気持ちです」。09年から世界選手権の同種目を3連覇した王者にも、五輪のメダルは別格だった。
会場には本物の内村が帰ってきていた。最初の競技はあん馬。他の有力選手も落下などのミスを重ねた鬼門で、この種目2位の15・066点を出した。団体でのミスが頭に浮かび「苦しかった」と話したが、同時に「あん馬を乗り切れれば最後まで行けると思っていた」と勝負をかける気持ちだった。
つり輪でも15点台を出して迎えた跳馬の演技。スタート地点に立つ内村に、平行棒の演技を待つ田中和が「ガンバ」と声をかけた。スタンドからも「ガンバ」の声が響く。気負いのない表情でスタートすると、2回半ひねりから難度の高い前向きの着地。当然のようにピタリと止めると、会心の笑顔がはじけた。この種目トップの16・266点を記録した。その後も演技内容を微妙に調整し、致命的なミスなく高得点を重ね、全6種目で15点以上を記録した。
表彰式後はスタンド応援団の元に行き、花束を母・周子さんへ向かって投げた。「やっとここまできたなとという思いと、いろいろな思いが込み上げました。親には一番の感謝の気持ちが込み上げました。チームのため、国民のために気持ちを強く持とうと思った。ただただ、ありがとうと言いたい」と感謝の気持ちを口にした。
まだ23歳。16年リオデジャネイロ五輪には連覇がかかる。「これからも体操人生は続くので、演技で恩返しをしていきたい」。世界最高の演技を続け、日本を励まし続けていく。
内村航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日、福岡・北九州市生まれ。3歳で長崎・諫早市に移り、両親が経営するクラブで体操を始める。15歳で体操が強くなるために単身で上京。日体大に進学し、08年北京五輪では団体と個人総合で銀メダルに輝いた。09~11年世界選手権個人総合で前人未到の3連覇を達成した。両親と妹春日(はるひ)の4人家族で、全員が体操をする。160センチ、54キロ。得意種目は床運動。