ジョー・ オダネル 焼き場に立つ少年
一九四五年に米海兵隊従軍カメラマンとして被爆直後の長崎を撮影したことで知られるジョー・オダネルさんが九日(日本時間十日)、米テネシー州ナッシュビルの入院先の病院で死去した。八十五歳。妻の坂井貴美子さんによると、死因は脳出血。
一九四五年九月、佐世保に上陸。広島、長崎などで戦災状況の撮影に従事した。長崎では全身に大やけどを負った谷口稜曄さん(現長崎原爆被災者協議会会長)も撮影。
九三年十一月に来日した際、感激の対面を果たした。九五年には、欧州のハンブルク、ウィーン、ベルリンなど各都市で写真展が開催された。
46年帰国後、私用カメラで撮影した写真ネガを罪悪感から自宅のかばんにしまい込んだ。49年から68年まで、米国情報局ホワイトハウス付カメラマンとして、トルーマンら歴代の大統領に仕えた。
89年、米国内の反核運動に触発されてかばんを開け、90年米国で原爆写真展を開催。写真集「トランクの中の日本」(小学館)を出版。
スミソニアン航空宇宙博物館展示は、退役軍人の怒りを買った他の展示と同様、その写真はキュレーターの企画から削除された。
トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録/ジョー オダネル

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1990年からアメリカで、ついで1992年から日本各地で彼の写真展は開催され、話題を集める。しかし、この夏に予定されていたワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展は、すでに報道されたように在郷軍人の圧力でキャンセルされた。ここにおさめられた57点の写真は、スミソニアンではついに展示されなかった真実の記録である。
内容(「MARC」データベースより)
戦争が日本各地に残した傷跡を私用カメラでも撮影したJ・オダネル。彼は密かに写真を持ち帰り、悲惨な光景の記憶とともに屋根裏部屋のトランクの中にしまい込んだ。43年後、トランクを開けさせたのは彼の平和への願いだった。
こちらは、ペーパーバック
Japan 1945: A U.s. Marine’s Photographs from Gr.../Joe O’Donnell

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一九四五年に米海兵隊従軍カメラマンとして被爆直後の長崎を撮影したことで知られるジョー・オダネルさんが九日(日本時間十日)、米テネシー州ナッシュビルの入院先の病院で死去した。八十五歳。妻の坂井貴美子さんによると、死因は脳出血。
一九四五年九月、佐世保に上陸。広島、長崎などで戦災状況の撮影に従事した。長崎では全身に大やけどを負った谷口稜曄さん(現長崎原爆被災者協議会会長)も撮影。
九三年十一月に来日した際、感激の対面を果たした。九五年には、欧州のハンブルク、ウィーン、ベルリンなど各都市で写真展が開催された。
46年帰国後、私用カメラで撮影した写真ネガを罪悪感から自宅のかばんにしまい込んだ。49年から68年まで、米国情報局ホワイトハウス付カメラマンとして、トルーマンら歴代の大統領に仕えた。
89年、米国内の反核運動に触発されてかばんを開け、90年米国で原爆写真展を開催。写真集「トランクの中の日本」(小学館)を出版。
スミソニアン航空宇宙博物館展示は、退役軍人の怒りを買った他の展示と同様、その写真はキュレーターの企画から削除された。
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1990年からアメリカで、ついで1992年から日本各地で彼の写真展は開催され、話題を集める。しかし、この夏に予定されていたワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展は、すでに報道されたように在郷軍人の圧力でキャンセルされた。ここにおさめられた57点の写真は、スミソニアンではついに展示されなかった真実の記録である。
内容(「MARC」データベースより)
戦争が日本各地に残した傷跡を私用カメラでも撮影したJ・オダネル。彼は密かに写真を持ち帰り、悲惨な光景の記憶とともに屋根裏部屋のトランクの中にしまい込んだ。43年後、トランクを開けさせたのは彼の平和への願いだった。
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