父、英学さんが自力で建てたアトリエを少しずつ掃除する。
峻平が楽器作ったりして、片付けないので、木片やら金属やら分別する💦
先日からやっとのことでほんの隅っこを片付けた。
誰が汚そうとかたぁつけるのはおのれだ。
棚には、画集が入っていたのだが、峻平の弓矢が刺さり、売るにに売れねえじゃねぇか!
全部出して、学校でやってる箱庭をセットする。
自宅ワークショップ。
無限の箱庭という曲は、33年前に作った曲で、その頃は壁画や舞台美術の仕事をしてたので、そのあと5、6年後くらいに、アート講師として、箱庭をとりいれたんだな。もう25年以上やっている。予兆だったのか、、
作曲した時は、箱庭療法なんて知らなかった。
ただ、20代の後半頃の曲に、箱ってワードがよくでてくるかも。箱庭、箱舟、玉手箱、、、。
セラピストじゃないから、全部手作り、寸法だけ河合隼雄先生の本から学んで作った。
箱の内側が水色に塗ってあり、砂をよけると川になったり海になったりする。
そこへおもちゃ等を置いていくだけである。
子供達の作品と比べるとなんと面白みがないなぁとか思いながら、30年以上前の曲、無限の箱庭、を箱庭をまえにして録る。
子供達、生徒達との思い出がよぎる。
みんなありがとう。
タイガーマスクかっ!
世田谷の団地で育ち、この山奥の広いとこに引っ越し、中学の頃も、おまへは部屋で悪さするからと、アトリエで寝かせられた。
天井にはオディロンルドンの絵のポスターが貼ってあり怖かった。
狭くていいから団地がいい、と思った。
シケイロスは、勝新に見えた。
あらゆる天井ポスターの絵から目が合った。
団地で眠りたい、、
ちなみにお爺さんはお坊さんだったのだ。
オレが生まれた年に亡くなったらしい。
父が絵描きになるので継がなかったのだ。
寺育ちの父は、狭い団地が苦手だったようだ。
手作り天窓から、峻平の弓矢でズタズタになったダンボールがイーゼルで照らされている。