「キルギス人と日本人」-3(終)(2人の親日家の影響?)
 
④、日本の開発援助ODA:
    独立後のキルギスの発展に日本の与えた功績は大きいといえます。
    特に独立から2000年代までは、日本の援助額は飛びぬけています。
    キルギス国内を移動していると、日本の援助で作られた橋や道路などの、
    インフラ設備によく出会うといいます。またニュースの少ないキルギスでは、
    外国からの支援関係の話しは、ニュースづくりの貴重なネタになります。
    海外の機関が何かを行うと、ことごとくニュースとして報道してもらうことができます。
    日本関係の事柄が、これほどメディアに多く取り上げられる国はないようです。
    日常的に日本に関するニュースを見ることができるのです。
 
⑤、二人の親日的なキーパーソン:
    独立後のキルギスで大きな影響を与えた2人の親日家がいます。
    一人がキルギス共和国の初代大統領のアカエフ。
    1990~2005年までの15年もの間、大統領を務めたアカエフは日本好きでした。
    大統領顧問を務めた日銀の田中氏の影響も大きく、
    彼の任期中に日本人はビザなしでキルギスに行けるようになりました。
    政策的にも戦後の日本の経済発展を見習いたいという趣旨の話をしています。
    二人目が、キルギス最高の小説家のチンギス・アイトマートフです。
    思想家、政治活動家でもある彼は、キルギスで最も人気の高い人物です。
    日本ではあまり知られていませんが、日本に興味を抱いてたびたび来日しています。
    彼の2番目の奥さんは、キルギス人ですが日本訪問中に出会ったという逸話もあります。
  
キルギス独立後、思想的、政治的に最も影響力の強いキーパーソンの二人が親日だったことが、
キルギス人の親日姿勢を強め、影響力が大きかったのではないかといっています。
 
娯楽が少なく、冬は閉じこもりがちなキルギス人にとって、
テレビは人々に与える影響力は大です。
色々な形で放映されるテレビによって親日感情が高まり、
キルギス人と日本人の兄弟説が形作られていったのでしょう。
 
(おわり)